エスカレーター(2020年10月27日)

二つ月ぶりに父と町のレストランで夕食をとった

反対方向にそれぞれが帰ることになり

私の乗ったエスカレーターは上に進み

プラットフォームの階についた

振り返ると

私を見つめる父の姿があった

その目がうるんでいるように見えた

さっき

目と目を見合わせて

きょうはさよならと

言ったばかりなのに

下りエレベーターに乗り

もう一度、父にさよならを言いたくなった

冷たい手(2020年10月21日)

冷たい手であった

まだ秋は始まったばかり

日差しは暖かなのに

カイロで温めなければ

かじかんでしまう

冷たい手であった

食べられない病気にかかり

体温を維持するためには

自分の体を燃やし

それでも体温は上がらず

カイロが頼りの

冷たい手であった

診療所のスタッフ皆で

手を握り

温めて

夜の闇をついて家路に送り出した

いつの日にか

成人し

温かな手になって

尋ねてくれることを

願った

きんもくせいと空(2020年10月18日)

いつの間にか

キンモクセイは出世した。

昔々のこと

元々は便所のそばに植えられる

雑木だったのだのに

今は愛でられる木になった

キンモクセイの香りが

漂う日に

青い空を見上げている人がいた

その人が逝って早二年

今年の開花は遅く

10月中旬になった

そのぶん 花のつきはよく

一面のオレンジの海のようだ

今日という日に

青い空を見上げて

キンモクセイの香りをかぎながら

亡妻を懐かしむ

キンモクセイは二度咲きすることを

誰か知っているだろうか

甦れ

妻よ

ものは言いよう(2020年10月16日)

映画館が映画館だった頃

シネコンというものがまだなかった頃

一人の女子高校生が映画館へ一人で

映画を見に行った

隣の席の男が彼女の膝に

手を伸ばしてきた

彼女は言った

おじさん

そんなことしてたら

痴漢と間違えれるで

男は手をひっこめた

もしこの女の子が

痴漢や

助けて

と騒ぐこともできただろう

この女の子は

冷静だった

そして

賢かった

短い秋(2020年10月14日)

何か特別にいいことがあったわけではない

なにしろ

コロナだからね

そんな夏と

別れはさびしく

夏は立ち去りかねている

酔芙蓉が朝に花を咲かせている

なかなか来ない秋を

待ちわびて

ようやく出会った秋

キンモクセイの香り

今年は二度咲きになりそうにない。

無洗米(2020年10月14日)

娘は関東に

私は関西に

東と西に離れ離れ

結ぶのは LINE

日中はまだ暑いくらいの

初秋の日に

こんなやりとり

「そういえば そろそろお米がなくなる」

お米というのは3か月ほど前に

ふるさと納税で寄付した自治体から

送られてきた米のこと

「そいじゃあ また寄付してお米を

送ろうか」

「無洗米がいいな

 冬は研ぐのが冷たいから」

そのあと ふるさと納税サイトで無洗米を探し

よさそうな自治体に寄付をした

コロナ時代 愛の作法(2020年9月26日)

マスクをつけるのが標準の時代なので

愛の作法も変わってきた

マスクを外すことが

サインとなった

愛ある者同士のあいだでは

マスクを外す

じゃあ

マスクを外そうか

これが親密の言葉になった

愛の作法がひとつふえたわけで

歓迎したい

withコロナ(2020年9月26日)

コロナと共生するのだという

共生というなら

双方に何かしらの得があるときに

言うのではなかったの?

一方だけが得するときには

共生とは言わないんじゃないかな

それでも

with コロナだと人は言う

天にあるコロナが人を支配しているのだから

under コロナ

こういってほしいものだ

ルンバ(2020年9月25日)

名前がおもしろくて

忘れられない

英語では

roomba

roomに

baがついて

roomba

もし寄付を受ける団体を

作るなら

名前は何にしよう

キフミーがいいな

キスミー or キフミー

整理のしかた(2020年9月22日)

紙類、郵便物、雑誌、その他にもいろんな物が

テーブルに所狭しと並んでいて、片付けに困っていた

ふと思いついた

とりあえず、A4サイズの箱に入れてみようと

小さな紙はファイルにはさんで

全部を箱に収めてみた

するとどうだろう

机の上がかたづいた

なんだ

こんなに広かったんだ