二千円札は
銀行ATMに
長い間思い込んでいた
数か月に一度くらいしか遭遇しないので
窓口へ行き、入金するのだった
あるとき、 銀行ATM の表示を
よく見ると、
二千円札も入金できると書いてある
それからは二千円札を受け取るとき
嫌がらなくなった
思い込みの激しい人に
自分も入るのだなと苦笑した
こんな話を亡妻に言えば
言うチャンスはなかったのだが、
いささか小馬鹿にするような表情を浮かべて
あなたらしいわね
と言われただろう
二千円札は
銀行ATMに
長い間思い込んでいた
数か月に一度くらいしか遭遇しないので
窓口へ行き、入金するのだった
あるとき、 銀行ATM の表示を
よく見ると、
二千円札も入金できると書いてある
それからは二千円札を受け取るとき
嫌がらなくなった
思い込みの激しい人に
自分も入るのだなと苦笑した
こんな話を亡妻に言えば
言うチャンスはなかったのだが、
いささか小馬鹿にするような表情を浮かべて
あなたらしいわね
と言われただろう
夕方に歯の治療を受けた
口を開けているとワニを想像した
口を開けると
歯が丸見えになるから
さぞ治療を受けやすいだろうな
思い出したことがある
亡妻が何度も話してくれたワニの話
音楽教室で
幼児らにレッスンをしているとき
「みなさん、輪になって」
と言ったら
一人の男の子が
床に這いつくばって
ワニの恰好をした
また音楽教室で
一人の講師が車を教室前に停めたままで
生徒にレッスンをしていた
曲は「犬のおまわりさん」
そうしたら
警官が教室に入ってきて
「駐車違反だからすぐにどかせなさい」と
命じた
こんなことを考えているうちに
90分もかかった治療が終わった
あと2回通わないとならない
人が人にしてあげられること
それは小さなこと
大きく見えても
それは小さなこと
昨年の8月から12月まで
インターネット上に
美術館を作ることに時間を割いた。
亡くなった妻の父親の描いた絵画を
のせたホームページを作った
もっとも実際の制作は亡妻の次兄が
ほとんど独力でおこなった
題して
柿本胤二美術館
1944年から45年にかけて
太平洋の島、メレヨンで兵隊をしていたときの
思い出を描いた絵を収めてあるもの
ご覧いただきたいと思う
今年の年賀状にはこんなことを
書いた
去年、印象に残った言葉
A?医師 「これからの望みは?」
Bさん「望みはとくにないですね。
でも人の心の中に生き続ける存在でいたいですね」
Bさんはある難病をわずらっている人です。
葉っぱが落ちた木に
鳥が飛んできては止まる
見慣れた光景で
当たり前過ぎて、何も思わないのだが
今日と言う日
ああ、そうなんだ
鳥は体一つで生きていくんだと
しみじみ思った
衣服、持ち物、何もなく
餌から餌への旅暮らし
せめて巣でもあるのだろうか
羽が痛めば修復は不可能になり
飛べなくなれば一巻の終わり
こういう題の小説があって
ワカサギ釣りの話だ
しだいに寒さに慣れていき
寒い日々のなかには
小春日和の日が続いて
冬も悪くないな
こう思う日がある
遠ざかる人影がだんだん小さくなっていくように
餅の大きさが年々小さくなる
何でかな
消費税が上がって以来
お菓子の大きさが小さくなった気がする
阿闍梨餅だって
小さくなった
餅が小さくなるのも無理はない
一人で迎える元旦なので
おせち料理も
雑煮も廃止する
と決めていたら
思いがけず
差し入れをいただいた
くわいまであった
いつの正月だったか
妹がいて
「私、くわい、好き」
と言う
あれあれ、僕も好きだし、
やっぱり似ているんだと
妙に感心したことを思い出した
こんなにおいしい食べ物なのに
だんだんすたれていくのはさみしい
去り行く年が愛おしく
12月のカレンダーをピリッと
破るのが切なくて
午後10時を回るころ
びりっと破った
除夜の鐘は聞こえるのだろうか
今年は打たないかもしれないと
寝床で考えるともなく考えた
やがて眠りに落ちるころ
聞こえてきた
聞こえてきた
鐘の音が