季節外れ(平成26年6月8日)

奥山にもみじふみわけ

鳴く鹿の声きくときぞ

秋は悲しき

言わずとしれた小倉百人一首の歌

梅雨とアジサイの6月からは

ほど遠い季節の歌

しかし季節外れもまたよし

常識外れの読み方をしてみたい

きみとぼくふたりは木々の根っこに

足をとられないよう気をつけて

しだいに山の高みへと歩みを進めた

下界の物音が聞えない無音の世界へと

たどりついた

紅葉は散り始めてまるでじゅうたんのよう

ふたりはもみじ葉の上に持参のビニルシートを

広げて寝そべった

木漏れ日がさしてくる

秋っていいな

そのとき鹿の鳴き声が聞えた

こちらへ近づいては去る足音の気配がした

ふたたび無音の世界

きみとぼく

ふたりだけ

秋っていいなあ

 

失われたものよ(平成26年6月7日)

失われたものよ

よみがえれ

6月の夕空はどこまでも青く澄みわたり

きみの瞳にうつっていた

いつまでものぞいていたかったのだが

愚かな者は帰り道に心を奪われてしまった

失われた6月の空の色も

きみの瞳も

失われたものよ

よみがえれ

失われたるもの(平成26年6月7日)

数限りない思い出がわきあがる6月

暮れなずむ空の色に

とけていく時刻におきたこと

ばかりがよみがえる

いつまでも暮れないで

夕焼けがいつまでも続くように

願ったあの日々

失われたるものはなぜかくも美しい

瓜はめばこども思ほゆ(平成26年6月2日)

ネット検索をかけてみると

歌の意味の説明が物足りない

補足してみた

瓜はめば なぜ こどもを

思うのか

こどもにこんなにおいしい瓜を

分け与えて食べさせてやりたいのに

それが今はできない

栗はめばましてしのばゆ

栗を食べているとあまりにおいしいので

わが子にこの栗を食べさせてやりたい気持ちに

かられる。しかしそれが今はできない。

瓜 ⇒ おいしい ⇒ こどもにこれを食べさせてやりたい

⇒ それなのに今はそうすることができない

⇒ そのせいで安眠できない

 

こどもに食べさせてやりたいのにできない

これこそが憶良の心情であり

共感をさそうのだ

 

サイレント・スプリングは終わった(平成26年6月2日)

著名な建築家なのだが

「隠れた跳躍」と翻訳してしまった

「沈黙の春」を知らなかったのだ

分野が違えばこんなことが起きる

5月が去って、沈黙の春は終わった

サイレント・サマーが来た

水田が消えてカエルの鳴き声の

ない夏が来た

しかし汝嘆くなかれ

セミが鳴くまでのあと1カ月

沈黙を悲しむなかれ

静寂続きの夏の夜にこそ

想いはあふれ

父母しのばゆ

 

パウロ 愛の言葉(平成26年5月28日)

耳にした人も多いと思う。

パウロの愛についての言葉。

その時代、活字を読むのではなく

人々は耳でこの言葉を聞いた。

忘れないために

思い出すために

何度でも読み返さなくてはならない

われとわが骨身になるまで

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

愛は寛容なもの、

慈悲深いものは愛。

愛は、ねたまず、高ぶらず、誇らない。

見苦しいふるまいをせず、

自分の利益を求めず、

怒らず、

人 の悪事を数え立てない。

不正を喜ばないが、人とともに真理を喜ぶ。

すべてをこらえ、すべてを信じ、

すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ

若者のいない町で(平成26年5月28日)

年に一度

若者のいない町に神様が還ってくる

還幸祭に神幸祭

今年もお還りのときが来た

御神輿を担ぐのは腰痛の出始めた

中年者ばかり

とうとう今年は御神輿に車台を

とりつけた

それでも腰はみしみしと音がするほど

酷使された

掛け声は弱弱しく

目には日ごろの悩みの色を浮かべている

翌日の朝

整形外科に接骨院に

大勢がおとずれた

祭りはマンネリそのもの

それでいいんだ

きみマンネリをあざわらうことなかれ

人生とはマンネリのことだから

紺碧の(平成26年5月28日)

たった三つの原色から

千変万化の色合いができあがる

これほど美しい現象はない

空の色 海の色

地中海は紺碧の海

新しき背広を着ていくようなところではないけれど

あまりに遠い

魚一匹とれないというが

本当か

プランクトンのいない

純水と塩化ナトリウムの世界

だから紺碧

しもた屋(平成26年5月28日)

どんな虫だか知らないけれど

苦虫をかみつぶしたような

表情の男がいた

しもた屋に陣取って

道行く通行人に目をやっている

さかんな店をしていたものだが

今は誰もその男に

目をやらない

公道にはみ出さんばかりに

並べられたトロ箱には

大根、キャベツ、葉っぱもの

どれもこれも貧弱そのもの

相当の年なのだろうに

ひとりポツンと座り込んでいる

その隣に似合うのは

この私かもしれない