身を捨ててこそ(平成26年6月16日)

アジサイは今日も

色合いの異なる薄紫の花を咲かせていた

6月の見慣れた風景であるが

その張りつめた花のひとひらは

厳粛そのもの

花ひらくためには

われとわが身は種にならねばならぬ

花ひらくのはわが身ではない

念ずるばかりか

わが身一身のことは

忘れてこそ

はなひらく

坂村真民(平成26年6月16日)

いつも送られてくる税理士事務所の

1枚の通信で知ったのだが、

坂村真民という名の仏教詩人が

いたという。

『念ずれば花ひらく』という題の詩集を

出版しているというので1冊注文することにした。

ネットで見つけた1編の詩がある。

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花は一瞬にして咲くのではない。

大地から芽から出て葉をつくり、

葉を繁らせ、成長して、つぼみをつくり花を咲かせ、

実をつくっていく。

花は一瞬にして咲くのではない。

花は一筋に咲くのだ。

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そこでオマージュを。

太古の昔にひらいた

ひとひらのはなびら

受けつがれて受けつがれて

10万年を超える時間を

わたってきたのだ

今ここにひらく

ひとひらのはなびら

受けつがれて受けつがれて

10万年を生き延びていくのだ

無心に無心に

未来なんて考えもしないで

 

水出しアイスコーヒー(平成26年6月15日)

5月末に36度まで気温が上がった。

すっかり夏気分になった。

ところがこのところ30度をわずかに

超える程度の気温が続く。

地面が午前中から熱くなる感じは

まだなくて、やはり、今は夏が

始まる前の助走なんだと

気づかされる。

アイスコーヒー作りの季節がやってきた

しまってあった器具を取り出して

作り始めた。

ところが水がしたたり落ちない。

点滴の穴を掃除してみると

したたり始めた

出来上がりを試飲してみたところ

味が薄くて麦茶のよう。

コーヒー豆の粉を掃除してみて

わかったのは全体にしみていなくて

水がどうやら素通りしてしまったようだ。

という次第で本日は失敗の結果。

ワールドカップも負けたし

ついていない日曜日だったようだ。

6歳の魂(平成26年6月15日)

先生に引率されて

小学1年生の集団が

2列になって道を進む

それを見て手を降り続ける

海外からの旅行者

日本で言えば還暦をとうに過ぎた婦人である

かわいいなあ、いいなあ、戻りたいなあ

そんな気持ちが表情にあらわれていた

6歳には年なりの魂がある

考え感じ苦悩する魂がすでにある

そんな魂を内に秘めた一群が

過ぎ去ったあと

くだんの婦人は何を思ったのだろう

ふたたびアイ ビリーブ(平成26年6月13日)

「現代教養文庫」という文庫本がかつてあった。

「私は信ずる」は

昭和32年に初版で、私が持っているのは

昭和43年の27刷りのもの

活字は現在の文庫本より一回り小さい

紙は黄ばみ字は薄れ古色蒼然としている

私以外には

誰からも忘れられた本のひとつである

 

 

 

 

中身はイギリスで1940年に発行された

エッセイ集である。

 

 

ちまたにはやるもの(平成26年6月13日)

やれ終活だ

やれエンディング・ノートだ

やれ生前葬だ

こんな言葉がちまたにはやる

雨あられと

こんな言葉がふってくる

陰気な言葉が世間を闊歩する

これはたまらん

誰か言わないのか

オレは生きるのに忙しいのだ

後は知らんぞ

よろしく頼む

脚の腕力・腕の脚力(平成26年6月13日)

フロイトかく語りき

言い間違いの中に

その人の真実が現われる

ある人が私にかく語りき

腕の脚力が衰えてねえ

あるいは

脚の腕力が衰えてねえ

だったかもしれない

このとき人生の真実は何だろう

純粋にただの言い間違いなのか

こんなことを考えていると

空を流れていく雲と自分がひとつに融け合って

雲を見上げているのか

それとも

雲を見下ろしているのか

どっちだってよくなってくる

 

 

ニーバーの祈り(平成26年6月11日)

月日は百代の過客

芭蕉は奥の細道をこう書き始めた

6月もまた百代の過客の一人である

きょうもまたおのれにできることと

できないこととを見分け

できることには全力でたちむかい

できないことは静かに受け入れる

古人はかく語っている

変えることのできるものについて

それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ

変えることのできないものについては

それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ

そして

変えることのできるものと変えることのできないものとを

識別する知恵を与えたまえ

まことに6月は知恵の雨がふりそそぎ

老いたる者の上にも

歩く寸前の乳児の上にも

平等にふりそそぎ

われらはその豊饒に育てられるのである

アイ ビリーヴ(平成26年6月8日)

本棚に並んだ本の中には

遠い日に読んだ本、そして今も

捨てられない本が数冊ある。

そのなかの1冊

『私は信ずる』

フォースターという作家のエッセイが

お気に入りだった

そのひとくさり

私がもっとも尊敬する人たちは

まるで彼らが不死の人間であるか、

社会が永遠のものであるかのような風に

行動している。

こうした仮定はいずれも誤りである。

だがもしわれわれが今後も食べ

働き、そして愛しつつ生きていきたいならば

これらの仮定を真実として受け入れなければ

ならない。