Just another WordPress site
( 銀行編)
ピン札ないかな
そんなんあらへんよ
銀行にいかなあかんな
そうやな
自動両替機でいけるやろか
そらむりやな
ピン札は窓口やで
(紙幣編)
一万円札は誰やったかな
あんた福沢諭吉に決まってるやんか
いつ頃からか忘れたな
五千円札は誰やったかな
伊藤博文とちがうか
そんなら千円札は誰やろか
知らん
忘れたな
気になる
財布を見てこよかな
まあええわ
めんどうやな
明日の朝でええわ
それより
誰かてええやんか
わいはそんなん気にしてへんで
翌朝
二人とも
千円札は誰か
財布をみることを忘れていた
身なりを美しく
しぐさを美しく
言葉づかいを美しく
使っている部屋を美しく
あいさつを美しく
住宅に畑に田んぼを両側に
私鉄電車は線路を疾走する
線路はまっすぐどこまでも
(これなら僕でも運転できそうだ)
車内ではスマホをながめて
何やら忙しそうな乗客が席を占める
なかでもひとり若き女性
持参の紙袋からテイクアウトの
のみものを取り出し
一口のんでは
バウムクーヘンの小片を口にいれる
人前で堂々と落ち着き払った飲食は
まるで室内風景のよう
30分の車中時間を有意義に使うには
スマホ、飲む、食べる
三つを同時並行に進めるわけだ
電車は走り人生は過ぎていく
きのう午後の空いた時間
仕事場近くのカフェへ足が向く
離れた席では中年女性が数人
大きな声で話し合い
私はねえ、今度、パレスティナへ
特攻隊に行くんや
様子のいい人が語る
あんたこないだ右肩を骨折したばかりじゃないの
なんてぶっそうなことを言うの
そうなんよ まだ右腕が上がらないけどね
そんな体で何の役に立つの
きかれたくだんの女性いわく
砲弾が落ちてくるとき
こどもの体を私の体でおおうのよ
そうすれば被弾は私の体で
食い止められる
これが私の特攻隊なんよ
話題は次に介護のぐちへと
移っていった
音もなく
ヤモリが窓をはい
トンボは空を飛ぶ
そんな夏は音の盛りでもある
セミ カラス カエル ハト
ひときわ澄んだ声で
ウグイスまでが鳴く
ウグイスは夏の鳥なのだ
ナイチンゲールは夏の鳥
鉄道駅の昼下がり
改札口の近くでは
重い荷物を片手に
高齢婦人がひとり
人待ち顔でたたずむ
見渡しても椅子はなく
鳥の止まり木ふうの
椅子もどきが3つ
金属製の味気ないしろもの
このごろの鉄道駅ときたら
どこもかしこも椅子がきらいなようだ
人の体は変わらないのに
椅子の激変は目をおおうばかりだ
待って待たされ待ちくたびれて
駅に電車が止まるたび
人恋しさはつのりゆく
ネッスルのインスタントコーヒー
出始めのころに飲んだのが
初めての
コーヒー体験
長い年月がすぎて
レギュラーコーヒーをいれるようになった
たいした手間ではないと思うのだが
豆をひく
湯をわかす
湯をそそぐ
これだけのことなのだが
現代人は忙しい
マラソンランナーでもない人までが
歩きながらペットボトルから
水をのむ
立ち止って飲み物を口にすることすら
しなくなったわたしたち
(むせても知らないよ)
ワールドカップは終わった
アルゼンチンよ
またの名
いとしのアージェンタインよ
きみの名は
銀 シルバーである
だから準優勝が妥当だったのだ
けれどもフランスに行けば
きみは金の代名詞だ
そんなきみに優勝させたかった
(国名を銀と名乗るとは
まさか守銭奴だらけの
国民でもあるまいて)
夏炉冬扇といえば
夏が来たというのに
まだ暖炉をしまっておらず
冬が来ているのに
扇を取り出したままにしてある
万事することが遅すぎる人
そういう人がいる
けれども反対にせっかちな人も
世の中にはいて
夏が来たばかりなのにもうはや
冬したくを始めて暖炉をとりだし
冬が来たとたんに
夏の準備に扇を取り出しておく人
どちらかに傾きがちなのが人情というものか
神戸は海に沿った細長い町で
6~10×50キロメートル
パレスティナは
6~10×40キロメートル
どちらも長方形の
地形は相似形である
人口は神戸150万対パレ160万
昭和19年
神戸を空襲が焼いた
亡母が語っていた
家が焼けるほど悲しいことはないと
野坂昭如『火垂の墓』もまた
神戸空襲を描く
2014年7月
パレスティナにイ軍が空爆を繰り返す
焼ける家、死傷する市民
神戸とパレスティナとは
相似形である