塔の家(平成26年10月26日)

男は

一階あたりは6畳の広さだが

10階建てどころか

もっと高い塔の家に住んでいた

ふだんは1階、

ときどき2階、

たまには3階

そんな住み方だった

4階以上は行ったことがなかった

台風の過ぎた日

あまりに空が美しく

男は

上の階へと昇り始めた

我が家なのだが

知らない空間に目を瞠るうち

だんだん高く高く

下界を見下ろす階に届いた

やめればよかったのだが

さらに高く昇って行った

男は降りることを忘れ

住民は男の存在を忘れた

 

 

いい日(平成26年10月25日)

同じ母ネコから生まれた三匹の子猫

エサ皿に顔を押し付け合って

何やら話し込む

おなかがいっぱいになるまで

食べるって

幸せな気分

確かにネコの餌箱はすでにカラッポ

お天気がいいって

幸せな気分

確かに空は青く澄んで晴れている

あんなふうに顔を寄せ合って

日差しに目を細めて

きょうは恐ろしい大型ネコは

まだ現われない

子ネコにとって

こんないい日はない

赤松(平成26年10月25日)

松くい虫にやられてしまった

赤松が切り倒されることになった

切り倒し作業は困難をきわめる

庭園の主は残念な表情をして

作業現場をうろうろしながら

眺めている

植えてから40年

15メートルを超えた巨木が

一日で切り倒された

風のとおりがよくなり

あたりには松の香がただよっている

 

無節操(平成26年10月15日)

耳に心地よい詩を書くのが

詩人の仕事ならば

そうするだろう

目に美しいものを歌うのが

詩人ならば

そうするだろう

口当たりのよい文句を

連ねるのが詩であるならば

そうするだろう

暗く哀しい歌を歌わねばならないのなら

そうするだろう

絶望に淵があるのなら

淵に沈み嘆きの歌を

歌わないといけないのなら

そうするだろう

なんという無節操

 

根拠なき自信(平成26年10月15日)

根拠なき自信だね

と人は嗤う

いいのだ嗤ってくれて

しかし人は知らねばならない

自信に根拠を求めることの結末jを

他方には

根拠なき劣等感とともに

生きる人がいる

当人にとっては

根拠があると言うのだが

いくら言い聞かしても

聞く耳はどこへやら

会うは別れの(平成26年10月14日)

友だちが転校していくので

ぼくは泣いた

見ていた母は

会うは別れの初めだから

なぐさめにもならない言葉を

言うのだった

何年かしてその友だちと

再会したのだがお互いに

ぎこちない態度で時間がすぎていった

友だちであったあの時間が

二度とは戻らないことに

僕は肩を落とした

時計(平成26年10月12日)

中古腕時計の収集が

趣味の男がいた

安物を買い集めてはコレクションを

作り上げるのだった

そんな男が言う

近頃の時計はさっぱり面白くない

本当かどうか

計り知れないのだけれど

物語『モモ』の中では

時間とは心のこと

逢瀬の別れ際に男が時計を見るのが

女にはさびしかった

時計ではなくて

私の目を見てちょうだい

女はいつも言うのだった

目は私の心そのものだから

 

 

いかないで(平成26年9月30日)

さあ夕飯の買い物に出かけなくては

腰をあげた母に向かって

お母さん

行かないで

外は暗くて雪が舞い始めてる

ボクはひとりでさびしくなるから

きのうの残り物を食べようよ

 

私は年老いてしまったから

さあ逝かなくては

お母さん

いかないで

いかないで

ひとりで生きていける

そんな年にはなっていても

ボクには代わりになるような友達もいない

 

どこまでも続く

果てしない雪原をマフラーを

巻いた母がただひとり歩いていく

遠い所へいってしまう母の

姿がいつまでも見えるのであった

 

誕生日(平成26年9月28日)

数え年で数えていた時代があった

正月にひとつ年をとる時代があった

そのころ誕生日はどんな日だったのだろう

子を産んだ母にとっては出産の日

出産の日を思い出すのが子の誕生日なのであった

英語を見てごらん

birthday

birthは出産のことだから

birthdayはホントは出産日なのさ

それなのに

birthdayは誕生日と

日本語になってしまった

子にとって

birthdayは母を思う日

自分の日と思ってはいけないよ