世界遺産が紹介されるテレビ番組を
見ていると
行ってみたいなとつくづく思う
行きたしと思えどもフランスはあまりに遠しと
詩に読んだ詩人の心境になる
もうひとつの世界遺産があると
言う人がいる
書物になった古典のことだ
時間貧乏の身としては
もうひとつの世界遺産を
めぐる旅に出るしかない
それとて読破するだけの時間と知性を
要するのだ
どちらの世界遺産もはるかに遠い
世界遺産が紹介されるテレビ番組を
見ていると
行ってみたいなとつくづく思う
行きたしと思えどもフランスはあまりに遠しと
詩に読んだ詩人の心境になる
もうひとつの世界遺産があると
言う人がいる
書物になった古典のことだ
時間貧乏の身としては
もうひとつの世界遺産を
めぐる旅に出るしかない
それとて読破するだけの時間と知性を
要するのだ
どちらの世界遺産もはるかに遠い
川は流れる
けれども
人は流れていいものか
流れるだけなら
何の苦労があるのだろう
生きるとは
川を遡上すること
流れることの正反対である
魚ですら川を遡上するのだから
散歩にいきたいわけではないのに
健康のためと無理やりに連れ出された
老いたるしば犬
道の真ん中で座ってしまって動かないことも
しばしば
飼い主も同じように年老いているので
ひっぱりもせずたたずむ
後ろ足をけがしたために
下半身を台車にのせることになった
前足と台車とで移動できるのだった
重病にかかり歩けなくなったしば犬
飼い主になでられながら
目をつぶるのだった
あのシェパードはどこへ連れて行かれたのだろう
獰猛な目と精悍な動きで人を見れば吠えたてた
認知症のお年寄りの家に
2頭のシェパードが飼われていた
その男性は毎日散歩に連れていった
認知症なので
自宅へ帰る道をおぼえていないのに
決まって帰宅を果たすのだった
そのわけを聞くと
犬が道をおぼえているので
帰宅できるのだという
犬に散歩につれていってもらっているようなものだった
シェパードはいなくなった
町には小型のかわいい犬が歩くようになった
かわいい顔 かわいい目
こうして恐ろしいもの こわいものが消えていく
ゆるキャラがあふれ 鬼の面すらやさしくなった
甘くやさしくささやく声が聞こえてくる
何もかもが砂糖にまぶされて
ソルトレークシティは
シュガーレイクシティに
いつか名前を変える日がやってくるだろう
その町では
真綿に首を絞められるように
甘い声が体にしみこんでいく
おお ハネートラップ
体はもはや自由には動かなくなるのだ
アドラー博士が夢まくらに立った
アドラーではない
アードラーと呼んでくれ
そこで
アードラー博士と呼ぶと
御託宣が下された
背水の陣をしかない限り
優柔不断とためらいがある
優柔不断とためらいがある限り
心のエネルギーは最高の力を
発揮できない
だから諸君は高い望みを達成することができない
そして
続きを語る前に
アードラー博士は去って行った
夕刻に徳島鳴門を出発した高速バスが
まもなく淡路島を抜けて
明石海峡大橋にさしかかるとき
身を乗り出すようにして見つめる
風景がある
すでに日は暮れて
明石から舞子まで
海浜沿いにまぶしいほどに
灯りがともる
その風景が好きだ
私が知っていた明石舞子とは様変わりし
うらさびしい風景を思い描いていたのとは
正反対である
父母や祖父母が往来していた町
今よりもずっと新鮮な魚を食べていた町
思い出す時間すらないほど
ぐんぐんバスは飛ばす
橋を渡りきると
対岸の山中の道路へと突き進む
そこは闇の世界に
道路が浮かび上がる
いびきをかいて寝た
次の日
にきびができた
にきびができた
その晩
いびきをかいて寝た
いびきとにきび
どっちが先だろ
椅子の変わりようといったら激しすぎて
時代についていけない思いがする
反面で
テーブルは時計がとまったように変化しない
ただ色合いだけが変わって
現在は明るい色が主流になっている
私がすきなテーブルは食卓である
食事のみならず
何をするのも食卓がいちばんいい
書き物 読み物 ノートパソコン
ときには
遠く懐かしい家族の食卓を思い出して
胸が熱くなるのだ
4月1日をさかいに
そば屋のどんぶりが
小さくなった
うどん屋 ラーメン店 やはりどんぶりは
小さくなった
来年10月1日
どこまでどんぶりは小さくなるのだろうか
まんじゅう もなか
和菓子も中身が少なくなった
来年の秋にはどうなることやら
本の広告を見ていたら
『ブログの作り方』
という本の題が目に入った
もう一度見ると
『どぶろくの作り方』
であった
混ぜてしまえば
『ドブログの作り方』
という本になる
ブログとどぶろくとを
両方一度に作るという
結構な本のできあがりである