世界遺産は遠い(平成26年11月15日)

世界遺産が紹介されるテレビ番組を

見ていると

行ってみたいなとつくづく思う

行きたしと思えどもフランスはあまりに遠しと

詩に読んだ詩人の心境になる

 

もうひとつの世界遺産があると

言う人がいる

書物になった古典のことだ

時間貧乏の身としては

もうひとつの世界遺産を

めぐる旅に出るしかない

それとて読破するだけの時間と知性を

要するのだ

どちらの世界遺産もはるかに遠い

 

 

 

 

老犬いとし(平成26年11月12日)

散歩にいきたいわけではないのに

健康のためと無理やりに連れ出された

老いたるしば犬

道の真ん中で座ってしまって動かないことも

しばしば

飼い主も同じように年老いているので

ひっぱりもせずたたずむ

 

後ろ足をけがしたために

下半身を台車にのせることになった

前足と台車とで移動できるのだった

 

重病にかかり歩けなくなったしば犬

飼い主になでられながら

目をつぶるのだった

シェパードのいなくなった町で(平成26年11月12日)

あのシェパードはどこへ連れて行かれたのだろう

獰猛な目と精悍な動きで人を見れば吠えたてた

認知症のお年寄りの家に

2頭のシェパードが飼われていた

その男性は毎日散歩に連れていった

認知症なので

自宅へ帰る道をおぼえていないのに

決まって帰宅を果たすのだった

そのわけを聞くと

犬が道をおぼえているので

帰宅できるのだという

犬に散歩につれていってもらっているようなものだった

 

シェパードはいなくなった

町には小型のかわいい犬が歩くようになった

かわいい顔 かわいい目

 

こうして恐ろしいもの こわいものが消えていく

ゆるキャラがあふれ 鬼の面すらやさしくなった

甘くやさしくささやく声が聞こえてくる

何もかもが砂糖にまぶされて

ソルトレークシティは

シュガーレイクシティに

いつか名前を変える日がやってくるだろう

その町では

真綿に首を絞められるように

甘い声が体にしみこんでいく

おお ハネートラップ

体はもはや自由には動かなくなるのだ

 

 

背水の陣(平成26年11月12日)

アドラー博士が夢まくらに立った

アドラーではない

アードラーと呼んでくれ

そこで

アードラー博士と呼ぶと

御託宣が下された

 

背水の陣をしかない限り

優柔不断とためらいがある

優柔不断とためらいがある限り

心のエネルギーは最高の力を

発揮できない

だから諸君は高い望みを達成することができない

そして

続きを語る前に

アードラー博士は去って行った

 

明石舞子海浜夜景(平成26年11月11日)

夕刻に徳島鳴門を出発した高速バスが

まもなく淡路島を抜けて

明石海峡大橋にさしかかるとき

身を乗り出すようにして見つめる

風景がある

すでに日は暮れて

明石から舞子まで

海浜沿いにまぶしいほどに

灯りがともる

その風景が好きだ

私が知っていた明石舞子とは様変わりし

うらさびしい風景を思い描いていたのとは

正反対である

父母や祖父母が往来していた町

今よりもずっと新鮮な魚を食べていた町

思い出す時間すらないほど

ぐんぐんバスは飛ばす

橋を渡りきると

対岸の山中の道路へと突き進む

そこは闇の世界に

道路が浮かび上がる

 

食卓(平成26年11月9日)

椅子の変わりようといったら激しすぎて

時代についていけない思いがする

反面で

テーブルは時計がとまったように変化しない

ただ色合いだけが変わって

現在は明るい色が主流になっている

私がすきなテーブルは食卓である

食事のみならず

何をするのも食卓がいちばんいい

書き物 読み物 ノートパソコン

ときには

遠く懐かしい家族の食卓を思い出して

胸が熱くなるのだ

 

そばのどんぶり(平成26年11月8日)

4月1日をさかいに

そば屋のどんぶりが

小さくなった

うどん屋 ラーメン店 やはりどんぶりは

小さくなった

来年10月1日

どこまでどんぶりは小さくなるのだろうか

まんじゅう もなか

和菓子も中身が少なくなった

来年の秋にはどうなることやら

 

ブログの作り方(平成26年11月8日)

本の広告を見ていたら

『ブログの作り方』

という本の題が目に入った

もう一度見ると

『どぶろくの作り方』

であった

混ぜてしまえば

『ドブログの作り方』

という本になる

ブログとどぶろくとを

両方一度に作るという

結構な本のできあがりである