うまく
自信をもって
とらわれだしたらどうなるか
ただあることのむずかしさよ
ただおこなうことのむずかしさよ
うまく
自信をもって
とらわれだしたらどうなるか
ただあることのむずかしさよ
ただおこなうことのむずかしさよ
目覚めているのか眠っているのか
わからぬままに土曜日の夜が明けて
カーテンの向こうには
どんよりと空が広がり
朝なのか昼間なのかわからぬままに
日曜日の一日が始まった
ちょっとこわそうな顔の男が
行く手に道行く私を待っており
「〇〇です」と名のられてびっくり
片手にたばこを持った
旧知の人物であった
病院の外出許可をもらって
道を歩いていたのだった
「いいズボンをはいてますね」と
私のかなりよれたズボンをほめてくれた
なんだかとてもうれしくなり
彼がこれから帰っていくのは何十年と暮らす精神病院の一室
自由なはずの自分が彼になぐさめられるとは
元気そうですねと言うと
あほは元気なんですよと冗談が返ってきた
昼間なのか夕方なのかわからぬままに
日暮れようとするなか
ゆっくりと自転車に乗っていると
旧知のご老人から
「自転車の後輪の空気が抜けてます
このまま坂道を昇るのはえらいでっせ」
と声がかかった
タイヤに気がつかないほど私にはとらわれていることが
あったのでった
なんだかその親切がとてもうれしくて
自転車を降りて押して歩き
空気入れでさっそくタイヤを満たした
満たされたのは私の心もであった
人影が少なくなった夜の公園
寄り添って歩く二つの影
休日もなく遅い時間まで
働くので
昼間の光を浴びた開花を
見ることができないのだった
来年は日当たりのいい時間に
来たいね
いつかこどもが産まれたら
頭に風よけの帽子をかぶらせて
3人でお花見に来たいね
月明かり 春の夜寒の 桜かな
蕪村だったら
名月に 春や夜寒の 桜かな
と詠むのだろうか
雨の多かった2月と3月
4月もまた雨が多そうな気配
気象が変わってしまったのだ
桜花は満開の日曜なのに雨
花見の予定が雨天中止
公園を歩く人影もまばらに
花にとっては咲くなら今しかない
そうなのだ
花はいつも雨天決行なのである
そして雨天結構なのである
春爛漫とはこんな日のことなんだ
しみじみ思う
そんな土曜の昼下がり
少年野球のコーチをつとめる男は
息子の動きを目で追った
もうすぐ10歳になる男の子は
格別うまくはないが
上手になりたい意欲を
父親はかっていた
空振りして打席を離れる息子の
気持ちが身振りから読み取れた
風がコーチの帽子をさらおうとしたとき
自分が死んだら息子が
どれほど悲しむことか
そんな考えに襲われた
春爛漫の日に
自分は
なんてことを思うのだろう
息子のために
息子のためだけに
自分は生き延びなければならないと
帽子をかぶりなおしながら
男は思うのだった
願わくは花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ
花を見て西行もまた
死を思ったのだろう
息子をもつ自分は彼よりも
ずっと恵まれている
青空と
野球少年たちの白いユニフォームが
対比をなす
そんな風景の中に
男はとけこんでいった
1年1組の級長に当てられるので
誰が1番合格かわかるのであった
200名に足りないわずかの人数の間だけなのだが
生涯語られる伝説の人物となる
私の学年の栄光の人は口数少なく、優秀で、勤勉で
学問好きでそしてミステリー小説好き
尊敬と憧れの的であった
少しでも彼に近づけるよう
怠りがちな私も自分を奮い立たせたのだった
急に春めいた日に
恩師は息をひきとった
中学1年から高校3年生まで
数学を教えてくれた人である
中学生になり
4月のなまあたたかい季節なのに
長ズボン、詰襟、丸刈り、電車通学へと
拘束としかいえない日々が始まった
半ズボン、ランドセル、給食が懐かしく
帰宅すると
昼間の疲れがどっと出るのであった
迎えた初めての数学の試験
最下位の点数
昼に弁当を食べていると
職員室に呼び出された
これから因数分解が始まり
もっとむずかしくなる
しかし今ならまだ間に合う
こういって叱られた
教室にもどり残りの弁当を前にして
涙が流れて食べられなくなった
その日から明けても暮れても
数学の日々が始まった
叱られたのではない
叱ってくれたのだ
叱ってくれたのではない
励ましてくれたのだ
今の自分には恩師の気持ちがわかる
夢まくらにフロイトが立ち
こうのたまった
一見無関係に見えることがある
しかしすべてのことはつながっている
どんなことにも細心の注意を払って
行なうように
その朝
空気の減った自転車のタイヤに
空気をいれながら
はるか遠くにいる人々の顔が
思い出された
さびしい風景が好きだ
その中にたたずむさびしい自分
しゃがみこみ
立ち尽くし
また
しゃがみこんでいると
いつしか調和が訪れて
寂しさはもうどこにもない
人と人とは
二言三言
あるいは
四言五言と
大切なことが凝縮された
言葉を交わせば通じる
それが会話というものだ
言葉がいらないとは
こういうことだ
映画のなかの俳優を見てごらん
彼らの会話はいつも短い