欠点(平成27年11月8日)

誰かに対して欠点が見えるとき

そういうときこそ

よく考えるときだ

あら探ししたい衝動のせいかもしれない

その人物を嫌いだからかもしれない

自分を誇りたいからかもしれない

もし

ほんとにもし

あなたやわたしに愛というものがあれば

欠点は見えないだろう

negative(平成27年11月8日)

すっかり日本語に定着した

negative

ネガティブ

ネガティブなふんい気に

のみこまれないように

気をつけなくては

とくに雨の日には

ゆううつにならず

ほがらかに

雨すら楽しめるように

他人の言葉に傷つけられないように

傘をさして

否定する魂(平成27年11月8日)

NO

人はこの言葉を好む

だだをこねる子どものように

NO

この言葉を使うと

自分が強いと感じられるから

NO

人と人とをつなぐことも

人と人とを離れさせることも

いかようにも使える言葉

NO

自分を強く見せるために使うのは

やめた方がいい

NO  NO  NO

3連発で言われたら

退散するのが賢明というものだ

 

ハーバード大学教授(平成27年11月8日)

まだ20世紀だった頃

ハーバード大学にこんな教授がいた

本を精力的に書きまくり

講演、政府委員、あまたの役職をこなしていた

 

有名人なのであちこちからパーティに

招待され、多忙のなか、まめに出席するのだった

 

招かれた家では

芝生の手入れが悪い

料理がまずい

ホストの服にしわが寄っている

犬のしつけがなっていない

など辛辣な発言を繰り出した

しかも一々の発言は正しい指摘だった

 

時がたち

教授がパーティに招かれることはなくなった

ういた時間でますます書くことに熱中し

本を次々と出版し

いよいよ有名になっていった

 

知る者は言わず

言う者は知らず

老子

 

末期の目(まつごのめ)(平成27年11月8日)

ノーベル賞作家川端康成は

末期の目をもって書けと

常々弟子に語っていた

 

タクシーに乗らなければならなくなり

流しの車に乗り込んだ

運転手は私が精神科医だと知ると

問わず語りに話し始めた

 

亡くなった娘は拒食症で25年間

自宅にひきこもり寝たきりだった

食事は米を10グラム野菜を15グラムと決めて

測りで毎回測るのだった

 

血糖値が下がり続け治療を拒否し

いよいよ息がたえだえになった

母親が救急車を呼び

病院に搬送されたが

回復することなく死亡した

40歳をこえたばかりだった

 

娘が救急車のストレッチャーに乗せられ

父親である自分のほうを見たとき

その目には憎悪が浮かんでいた

 

私はいいんです

あの目を忘れられないけれど

娘の死と私に向けられた憎しみを

私は受け入れられたのですよ

憎しみに見えたものの奥には

愛おしさと切なさに満ちて

先立つ不孝を詫びるような

目だったのです

 

こんな話を聞きながら

車酔いに苦しみながら

クルマは目的地に着き

私は下車した

 

友だち(平成27年11月5日)

友だち百人できるかな

なんて威勢のいい歌があった頃

そんな時代に生まれなくてよかった

としみじみ思う

友だちがひとりいて

毎日いっしょに下校する

肩をくんだり

水たまりで遊んだり

別れるところまでくると

いちもくさんに走って帰る

小さな友情

やがて友だちは転校していき

ぼくはひとりでまっすぐに帰宅する

たったひとりの放課後の時間

理解と愛と(平成27年11月5日)

酒を長い間、置いておくと酢になり変わる

愛が真珠だとすれば理解は模造真珠である

わたしがほしいのは愛

それが与えられないのなら

せめて理解がほしい

 

そうだ

酢はいらない

酒をくれ

そうだ

理解はいらない

愛をくれ

そうだ

ほしいものをくれ

 

パウロの愛の言葉

愛は寛容なもの、

慈悲深いものは愛。

愛は、ねたまず、高ぶらず、誇らない。

見苦しいふるまいをせず、

自分の利益を求めず、

怒らず、

人 の悪事を数え立てない。

不正を喜ばないが、人とともに真理を喜ぶ。

すべてをこらえ、すべてを信じ、

すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ

 

待ち人は来たりて(平成27年11月4日)

あの人はどうしているのだろう

近頃見ていない

会ってもいない

胸騒ぎを感じ始める

何かあったのではないか

事故だとか病気だとかあるいは

別のもっと重大なこと

不安がわきあがり

メールか電話かしなくては

いてもたってもいられなくなる

その瞬間

待ち人は戸口に現れるのである

こういうことが度重なり

別の場所にいる人と心がつながっているのを

ますます確信するようになった