誰かに対して欠点が見えるとき
そういうときこそ
よく考えるときだ
あら探ししたい衝動のせいかもしれない
その人物を嫌いだからかもしれない
自分を誇りたいからかもしれない
もし
ほんとにもし
あなたやわたしに愛というものがあれば
欠点は見えないだろう
誰かに対して欠点が見えるとき
そういうときこそ
よく考えるときだ
あら探ししたい衝動のせいかもしれない
その人物を嫌いだからかもしれない
自分を誇りたいからかもしれない
もし
ほんとにもし
あなたやわたしに愛というものがあれば
欠点は見えないだろう
すっかり日本語に定着した
negative
ネガティブ
ネガティブなふんい気に
のみこまれないように
気をつけなくては
とくに雨の日には
ゆううつにならず
ほがらかに
雨すら楽しめるように
他人の言葉に傷つけられないように
傘をさして
NO
人はこの言葉を好む
だだをこねる子どものように
NO
この言葉を使うと
自分が強いと感じられるから
NO
人と人とをつなぐことも
人と人とを離れさせることも
いかようにも使える言葉
NO
自分を強く見せるために使うのは
やめた方がいい
NO NO NO
3連発で言われたら
退散するのが賢明というものだ
まだ20世紀だった頃
ハーバード大学にこんな教授がいた
本を精力的に書きまくり
講演、政府委員、あまたの役職をこなしていた
有名人なのであちこちからパーティに
招待され、多忙のなか、まめに出席するのだった
招かれた家では
芝生の手入れが悪い
料理がまずい
ホストの服にしわが寄っている
犬のしつけがなっていない
など辛辣な発言を繰り出した
しかも一々の発言は正しい指摘だった
時がたち
教授がパーティに招かれることはなくなった
ういた時間でますます書くことに熱中し
本を次々と出版し
いよいよ有名になっていった
知る者は言わず
言う者は知らず
老子
ノーベル賞作家川端康成は
末期の目をもって書けと
常々弟子に語っていた
タクシーに乗らなければならなくなり
流しの車に乗り込んだ
運転手は私が精神科医だと知ると
問わず語りに話し始めた
亡くなった娘は拒食症で25年間
自宅にひきこもり寝たきりだった
食事は米を10グラム野菜を15グラムと決めて
測りで毎回測るのだった
血糖値が下がり続け治療を拒否し
いよいよ息がたえだえになった
母親が救急車を呼び
病院に搬送されたが
回復することなく死亡した
40歳をこえたばかりだった
娘が救急車のストレッチャーに乗せられ
父親である自分のほうを見たとき
その目には憎悪が浮かんでいた
私はいいんです
あの目を忘れられないけれど
娘の死と私に向けられた憎しみを
私は受け入れられたのですよ
憎しみに見えたものの奥には
愛おしさと切なさに満ちて
先立つ不孝を詫びるような
目だったのです
こんな話を聞きながら
車酔いに苦しみながら
クルマは目的地に着き
私は下車した
みんなちがってみんないい
ピカソにダリにボッティチェリ
レオナルド・ダ・ヴィンチにミケランジェロ
琳派に伊藤若冲に狩野永徳
横山大観に東山魁夷
みんなちがってみんないいとは
彼ら天才のことだ
きみの稚拙な絵のことではないのだよ
友だち百人できるかな
なんて威勢のいい歌があった頃
そんな時代に生まれなくてよかった
としみじみ思う
友だちがひとりいて
毎日いっしょに下校する
肩をくんだり
水たまりで遊んだり
別れるところまでくると
いちもくさんに走って帰る
小さな友情
やがて友だちは転校していき
ぼくはひとりでまっすぐに帰宅する
たったひとりの放課後の時間
年齢学歴経験不問
ついでに病歴不問
もひとつ
人間性不問
やる気のある人
真剣に働く人
周りに配慮のできる人
求む
酒を長い間、置いておくと酢になり変わる
愛が真珠だとすれば理解は模造真珠である
わたしがほしいのは愛
それが与えられないのなら
せめて理解がほしい
そうだ
酢はいらない
酒をくれ
そうだ
理解はいらない
愛をくれ
そうだ
ほしいものをくれ
パウロの愛の言葉
愛は寛容なもの、
慈悲深いものは愛。
愛は、ねたまず、高ぶらず、誇らない。
見苦しいふるまいをせず、
自分の利益を求めず、
怒らず、
人 の悪事を数え立てない。
不正を喜ばないが、人とともに真理を喜ぶ。
すべてをこらえ、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ
あの人はどうしているのだろう
近頃見ていない
会ってもいない
胸騒ぎを感じ始める
何かあったのではないか
事故だとか病気だとかあるいは
別のもっと重大なこと
不安がわきあがり
メールか電話かしなくては
いてもたってもいられなくなる
その瞬間
待ち人は戸口に現れるのである
こういうことが度重なり
別の場所にいる人と心がつながっているのを
ますます確信するようになった