12月に「Foujita」という題の映画を見た。
フランス語で書かれた名前を日本語表記に戻すと
藤田になる。
藤田嗣治(つぐはる)という名の画家がいた。
彼をモデルにした伝記映画である。
1886年に生まれ、1968年、スイスの病院で亡くなった。
パリで絵画を売って暮らしを立てた初めての日本人画家である。
私がこの画家に興味を持つのは、フランスにあって
おそらく劣等感を持たなかったと思われることだ。
ピカソやモジリアニらに交わって、互角に勝負ができたではないか。
書きたいことはたくさんあるけれど、
映画の中に出てくる高村光太郎の「雨に打たるるカテドラル」という
高村光太郎の詩のことを残りのスペースで書きたい。
映画では雨の中、傘をさし、ノートルダム寺院に向かって、一人の男が
詩を吟じている場面がある。
光太郎の詩はいつもそうなのだが、勇壮という言葉がふさわしい。
おうまたふきつのる雨風
このリフレインが基調をなし、雨の日も晴れの日も飽きず見上げ続け、
ノートルダム寺院と自分とが対峙するのだという気迫に満ちた詩である。
確かに詩の題は「雨に打たれる」だが、光太郎はノートルダム寺院に日参しているので晴れの日も曇りの日もあったはずだ。
そうなのだからあえて撮影に雨の日を選ぶ必要はなかったし、
雨が生かされているとも思えない。観光客が絶えることなく
訪れる寺院にしては他に誰もいないさびしい画面になってしまった。
「雨に打たるるカテドラル」は忘れられている詩のひとつだし、光太郎も忘れられた詩人のひとりである。
そんな詩をとりあげた小栗監督の意図は成功したのかどうか。
嗣治と光太郎。
二人ともに戦争協力者と呼ばれ、戦後に追放されまたは隠遁させられた運命を共通に持つ。
それぞれの戦後があり
芸術家の魂は一貫して生き続け
作品を作り、残し、われわれに今も鑑賞させてくれるのである