右手にスマホ
左手にガイドブック
世はまさにツーリズムの時代
自動車修理屋のオレに言わせれば
右往左往の時節ってもんよ
小学校の幼馴染に会いに行くとか
そういうことをしたいもんだ
グルメだ ヒラメだ メカジキだ
そんなもんよりオレの釣ったスズキを
あいつに届けてやりたい
右手にスマホ
左手にガイドブック
世はまさにツーリズムの時代
自動車修理屋のオレに言わせれば
右往左往の時節ってもんよ
小学校の幼馴染に会いに行くとか
そういうことをしたいもんだ
グルメだ ヒラメだ メカジキだ
そんなもんよりオレの釣ったスズキを
あいつに届けてやりたい
『ナチュラル・ハウス・ブック』という題の
建築分野の本があった
その中に
『隠れた跳躍』という題の本が
扱われていた
誤訳なのだが
『沈黙の春』がよく知られた邦訳の本である
原題が言わんとするのは
鳥の鳴かない春のことだ
種々の化学物質のために
鳥がいなくなってしまった
あとには沈黙の春が残された
鳥が鳴かないことをもはや忘れ去った
われらが耳には
軍団となって疾走するバイクの騒音や
オープンカーから
流れてくる音楽が
春を告げる知らせである
いつの日か
スマホがウグイスの鳴き声を
知らせる日が来るのだろう
祖父母と囲んだちゃぶ台に
いとこらとひしめきあって
夕餉をとるとき
決まってしらす干しの小鉢があった
小さなタコやエビが混じっているのを
発見するたび歓声がわきあがった
時がたち
一人去り二人去りすべて去り
めいめいの道を行き
あるいは道から外れ
今いずこにいるやら
今夜私の夕餉の小鉢
大根おろしにしらす干し
小さなタコやエビが混じり
歓声はもう聞こえないのだが
いとこらの小さき姿を
思い出させる
ムーミンは寝静まった家をあとにして
山へ向かった
花びらが風に舞って
深い谷へ落ちていくのを見つめていた
根元に積もった花びらを
眺めているうち
身体全体になすりつけて
帰ろうと考えた
パパとママに見せてやりたかった
持っていた接着剤を使って
はりつけることにふけった
日が暮れ始めているのにも気づかなかった
帰り着いたときには
額にただ一枚のはなびらが
ついているだけだった
その一枚を
パパとママは大切に
写真たてにかざってくれた
もし私が言葉を操る人であれば
夢は使いたくない言葉の筆頭である
今流行中のアドラー心理学は
夢に意義を与えない
だからというわけでもないのだが
私は夢という言葉は遠ざけている
けれど
三好達治のある詩のなかでは
空は夢のように流れている
意味のとりようがないのだが
さらりと読めてしまう
もし私が言葉を操る人であれば
夢という言葉を
生かして使うことができなくて
ネガを描くことしかできない
夢見せず眠りたる朝
花びら散りぬ
春にも落ち葉があることを
今の今まで知らなんだ
サクラに見惚れて知らなんだ
それはそれ
降り積もる落ち葉を
ほうきで掃き集める楽しさよ
大して意味があるとは思えない
誰にも干渉されず
誰の迷惑にもならず
したいだけ
気ままにほうきを動かす
片付けられた後
掃き清められた道を歩いてみる
風がふいて
樫の木はまた葉を落とす
風の知ったことじゃないのだが
いとも容易に美は壊される
波打ち際の砂の城のようだ
そう
ネコはいつもこんなふうに
生きているんだな
気ままに
好きなところで
食べること以外
何もせず
宿直室では
硬いソファに寝そべって
宿直員が手持無沙汰にテレビジョンを見ていた
愛のオーヌス
画面に映画の題字が映った
なんだこれは
アヌスなら聞いたことがあるが
オーヌスってなんだ
愛のオーメンならどこかで見たが
オーヌスでもオーメンでもアヌスでも
自分には関係ないことだ
夫婦別居にいたったわが身が
急にいじらしくなり
何だか泣けてきた
愛のコリーダを
愛のこりごりと
誤読する無学な男なので
アヌスは肛門
オーヌスは重荷
オーメンは予兆
知るはずはなかった
開花宣言だってね
出世したもんだな
おれたちは
アメリカ独立宣言と
比べられた日には
面はゆいな
ただの桜の木なんぞには
もったいすぎるお言葉だ
犬が小便をひっかけたり
鳩がフンをしたり
さんざんな目にあってきたおいらには
宣言だけはよしてくれ
DECLARATION OF FLOWERING
もうよしとくれ
かってに咲かせてくれ
世間では小学校卒業式
学校近くの喫茶店では
卒業式後の正装の父母らが
ほっとした表情をうかべ
コーヒーや紅茶のカップを
手に取っている
かたわらには
高齢婦人が二人
長話をしている
髪が黒い時期なんて
ほんの短いもんだよ
私らを見てごらんよ
染めてやらないとみっともなくて
相方は染めない主義らしく
白髪を短めにすそをそろえている
髪が黒のうちは黒を大切にしないとね
染めたいのなら白髪になってからでいいと
私は思うんだよ
こんな話をしながら
タバコをふかしていた
誰もいなくなった講堂では
用務員が落し物がないか
丹念に見て回っていた
中原中也 「また来ん春」
また来(こ)ん春と人は云(い)う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返ってくる来るじゃない
おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫(にゃあ)といい
鳥を見せても猫(にゃあ)だった
最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた
こどもだから無知はあたりまえ
無邪気ゆえにかわいらしい
笑っていればいいのだが
にわかに不安に襲われる
幼児と自分と どれだけの
違いがあるのだろう
象を見せても猫(にゃあ)といい
春だ 桜だ 花見酒
鳥を見せても猫(にゃあ)だった
春だ 桜だ 花見酒
どこが違う
春が来るたび
われらが無知を恥ずる
遠くへ来たわけではないことを
ただ古びただけであることを
思い知る