ふらんす (平成28年9月3日)

ふらんすにあこがれ

アーベーセーしか知らずに

渡仏した男がいた

知り合ったフランス田舎出の娘と

結婚し山がちの村に暮らした

羊を飼い牛を飼い小麦を育て

やがて生まれた子どもが3人

農夫になるよう育てた

村の会合に出席し祭りに参加し

フランス人になっていった

折からのツーリズム そんな村にも

日本の中年夫婦が村のホテルに

宿泊した

声をかけられたのだが

日本語は完ぺきに忘却していた

見た目にもフランス男になりきり

日本人の面影は何もなかった

祖国など念頭になく

ただひたすらに異国の旅人を

もてなすのだった

 

明日は月曜日(平成28年8月21日)

日曜の夜になると

明日は月曜日

当たり前だ

けれど

行先がなんと中学校の教室だとしたら

かまうことはない

断然として登校するだろう

持ち物は何もなく

せめて体だけでもと駆けつけるだろう

駆けつけてみれば

なんということ

元のままのクラスの生徒がそろっているではないか

すっぽりと抜け落ちた時間

明日から中学生だって

やれるんだ

夏休み気分(平成28年7月10日)

5月黄金週間から7月海の日まで祝日はない

うるわしの5月が過ぎ去ると梅雨の季節が到来する

梅雨の季節の終わりとともに炎暑の夏が居座る

一年のうちで気候的に苛酷な時期に

祝日のない時期が一致する

それはそれとして 夏の到来は夏休み気分にさせてくれる

気分だけは夏休みだ

義務というものが免除されていたこどもの頃

義務が満載のおとなになってからの日々

それはそれとして 夏の到来は夏休み気分にさせてくれる

登る山 泳ぐ川 船を出す海

手を伸ばせば容易にとどく距離にある

想像せずにはいられない

 

 

 

私の夏(平成28年7月8日)

これは私の夏だから

これが最初の夏であるかのように

これが最後の夏であるかのように

味わい尽くさなければならない

惰眠の底へ落ちていかないように

目を見開いていなければならない

闇の中で(平成28年5月22日)

いつまでも いつもでも

空高く輝く陽が あたかも不動に見えていたのが

いつしか山峰の向こうへ姿を隠す

いつまでも いつまでも薄暗がりが あたかも不動に見えていたのが

いつしか闇が訪れる

闇の中に身を置いていると あたかも自分が闇に溶けていく

融けていく 闇の中に

それは悪くない感覚だ

それは心地よい感覚だ

闇とともに融通無碍 行けぬところがなくなる

いつまでも いつまでも 闇そのもになって

やがて来た朝の前で 融けてゆく雪のように

解けていく 解けていく

 

水田(平成28年5月5日)

こぞの年ついぞ水田を見ず

稲穂の実りたるを見しのみ

今年こそ水田を見なければなるまいて

陽気に誘われ田園地帯を

歩いて回った

どこにもそれはなく

乾いた地面が連なるのみ

とうとうこの地も稲作を放棄したか

日焼けした老婦を見つけ問うてみた

あと3週間だよ

カエルが鳴いてうるさくなるよ

6月になったら、梅雨の頃、

水田を見て回りに来なくてはならぬ

失われゆくみずほの国の景観を

記憶に焼き付けなくてはならぬ

人によってはTDLとUSJがなくてはならぬものの筆頭だ

おのれにとっては水田、海岸、砂浜だ

文句は誰にもあるまいて

 

主役はただ今外出中(平成28年5月4日)

とある人物の誕生日である

祝いの食卓に

不在となった

飾られた花も

ピカピカに磨かれた皿も

不在をいっそう際立たせる

空っぽの器にやがて

飲み物が注がれ

心に記憶が訪れる

主役不在の誕生日に

満たされるものがあった

 

 

 

 

望郷五月歌(平成28年5月4日)

空青し 山青し 海青し

blue sky

blue mountain

blue ocean

きょうは緑の日

green day

青から緑へ

愛される色は移ろうけれど

青の深みに我を忘れて

緑の色の豊かさに心は融ける

きょうはみどりの日

blue dayではないんだよ

(望郷五月歌は佐藤春夫が故郷の

紀州を歌ったもの)

 

 

 

 

 

 

宝石(平成28年5月2日)

宝石がありました

365個もありました

12の箱に入れました

1月の箱に31個

2月の箱に28個というふうに

どの箱もどの箱も輝いていました

あなたと過ごした夜と昼

365個もありました

12の箱に入れられて

あなたが満1歳になるまでの

宝石のような月日