風神(2017年10月30日)

風は神がおこすものと
信仰されていたころ

雷もまた神がおこすものと
信仰されていた

いつしか信仰が薄れゆき
木枯らしが数えられるものとなり
下界の現象とみなされる

本当は今も神が風をつかさどる
道端を
庭の片隅を
吹き抜けて現われわたる
今朝の青空

木枯らし1号の吹いた今朝
神がいたるところに満ち満ちていた

よくばり(2017年10月28日)

あれがほしい
これがほしい
そんな貪欲さはないつもり
けれど
愛されたい
好かれたい
そんな貪欲さがわたしの中には
ある

それが夜ごと日ごとに
襲いかかる
人ってみんなこんなだろうか
学校へ行くと
天真爛漫な生徒たちに
見抜かれてしまう

一日
家にいて
飼い猫とじゃれていたい

関ヶ原(2017年9月25日)

珍しく映画を映画館で見た
関ヶ原
画面がどの場面も美しく
それだけでも十分満足した
ことに関ヶ原のススキの群生の
間を馬でかけるシーン

ところが
俳優の早口がこれはいけないと
思った
何を言っているのか
はっきりとはわからない
道理で評判にもならず
客席は人の姿がまばらである

石田光成の生涯を描いた内容で
知らないことが多かった
ひとつ発見したことがある
それは
大名というのは一種の軍事政権であること
つまり
軍人が民衆を統治しているのである
日本史では
こんな言い方はしなかった
けれど
どう考えても
織田、豊臣、徳川
軍事政権そのものである
いいとか悪いとかは
わからない

けれども確かなことは
そういう軍事政権が日本を統治していたから
欧米の進出を阻み
独立を維持できたこと
中米、南米では原住民は全滅させられた
日本はそうならなかったのは
ひとえに軍事政権のおかげである

肖という字(2017年9月24日)

なぜか肖という字が気になって
肖という字はどんな意味なんだろう
消えるという字に含まれる
しかもサンズイが付けられている

不肖の息子と言われるときには
不がついて否定されるのだから
肖はきっといい意味なんだ

削るとなると
右側が刀

とやかく言わないで
白川静を見てみたら
肖は似るだって
だからそっくりに描けば肖像画なんだ
不肖の息子は親にちっとも似ていないこどものこと

ニトリとユニクロ(2017年9月23日)

すっかり定着した家具メーカーが
ニトリだが、
会社名が創業者の名前にちなんでつけられたことは
意外と知られていないようだ。
ニトリが名前だと聞くと
似鳥か煮鳥かどっちだろう
こう思うだろう
正しくは似鳥の方である。

その一方でお家騒動でニュースに
しばしば登場するのが大塚家具で
こちらは高級路線だとかいう。

どちらが売れているか、勝負ははっきりとしていて
ニトリの勝ちである。
いつの日か
日本中の家具がニトリという日が来るに違いない
もう逆らえない流れなので
何を言ってもムダだろう。

それでも思うのは
何と味気ないことだろう。
日本中で 世界中で
家具はニトリ
服はユニクロ
個性の尊重だ 自由だ
と求めた結果が
この同一性

ひとはいくつになっても美しい[2017年9月21日)

こんな題名の本がある
実在の91歳のモデルが
書いた本である
カバーには著者の写真が
使われている
確かに題名のとおり

美しさは一面では
顔立ち、頭の形、髪の綜合で決まるのだろう
なかでも
頭の形がけっこう大切な要素ではあるまいか

それだけではないのが
人間の美というものの面白さである
表情
気迫

信念
偽りのなさ
心の反映が
美しさを感じさせる

小さな習慣(2017年9月19日)

コーヒー豆を電動ミルでひき
紙フィルターでこす
すっかり習慣に組み込まれて
体にしみついている
コーヒーがこぼれて
白いテーブルクロスにしみついたように

マグカップやたまにのむ紅茶茶碗を
洗うこともなぜか大好きだ

雨の日(2017年9月16日)

台風が近づいてくる
雨が朝からふりそそぐ
空はどんより
こういう日こそ
心までどんよりしてくるのを
こらえなければならない
こらえれるかどうか

見渡せば
この時期に落葉する木があり
その新緑が目にしみる
ガラス窓をふく人がいる
顔が写るくらいぴかぴかだ

安寿と厨子王(2017年7月2日)

山椒太夫に捕えられた
安寿と厨子王は勤めを命じられた
安寿は川へ行き水をくみ
厨子王は山へ行き柴を刈り

水で重たくなった桶を運ぶのは
足がよろけたことだろう
柴の束を背に負うのは
背骨が折れそうだったことだろう

比べものにはならないけれど
彼らの苦しさよりは
ずっとましだ

こんなことを自分に言い聞かせて
励む人があちらにもこちらにも
その数は無数