熊の冬眠 猫の昼寝(2018年6月23日)

腹いっぱいに食べた

寝ざめようの食糧もためた

穴も掘った

さあ寝るぞ

私や熊になりたい

デッキチェアに陽射しがさす

あたたかな木に横たわり

眠りをむさぼる

日は空高くに止まったかのように

猫の横顔にふりそそいでいる

私や猫になりたい

みっつのこと(2018年6月17日)

東京から京都へ

京都から東京へ

バスあり自動車あり電車あり

より取り見取りのこの時代

新幹線

車中の人となると

することが何もない

トラックで運ばれる荷物みたいなものだ

隣席では

弁当をひろげスマホをいじり

合間に缶ビールをちびちびと

憩の時間なのだろう

同時並行でできるのはみっつまでなんだ

さらに4つ目のことはできないのだろうな

と思っていたら

弁当をたいらげ缶ビールをのみほし

スマホを置いて

すやすやと眠り始めた

四つ目は眠ることだったのだ

あん人たちゃよか衆(2018年6月17日)

五木の子守唄 はこんなふうに始まる

おどま勧進勧進

あん人たちゃよか衆

よか衆ゃよか帯 よか着物

子守の屈辱の気持ちがにじみ出る

 

それがなんだというのだろう

着物がよいからといって

それを着ている人物がよいわけではない

それでも一度は着てみたい

よか着物

 

もう一度駒場一年生になったら(2018年6月17日)

1本のろうそく

1箱のマッチ

浜辺におりたち火をともす

風に吹かれて炎は消える

ふたたびマッチで点火する

やがてろうそくがなくなり

マッチもなくなる

そんな短い時間が大学4年間

司法試験やら公務員試験、

外交官試験やら会計士試験

見向きもしないで

文読む日日

クラブだバイトだ飲み会だ

知ったこっちゃない

学問だけを堪能するのだ

 

止まった時計(2018年6月17日)

まだ目覚めている

もう眠りに着く

まだ目覚めている

眠りに落ちるあわいの時間に

想い出すことがあった

高校を卒業してまもなく亡くなった

ふたりの学友のことだった

中学一年生のある日に見た横顔を

想い出した

自動車事故に遭ったのだ

また

高校3年生のとき会話したある日のまなざし

海で岩から転落し溺死したのだ

先に逝った二人の友

方言(2018年6月4日)

方言を聞くとほっとする

テレビでときどき各地の方言を

聞くとなぜかほっとする

岡山、広島、徳島、福岡、宮崎

鹿児島、熊本、神戸、大阪、京都

方言には味わいを感じる

NHKの京都のニュースでは

幼稚園児らが「おった、おった、おるで」と言っていた

「いる」が関西弁では「おる」になる

あの子らが学校にあがると

いつしか標準語教育にならされて

関西言葉を忘れていくのだろう

 

 

京やさいカレー(2018年6月3日)

嵐山には飲食店が多くある

ぶらぶら歩きをしていると

いろんな看板が目につく

今日は京やさいカレーの看板を

見つけた

きっとウソなんだろうな

京やさいってきちんと決まっているのだが

きっと手ごろなやさいをみつくろって

京やさいといってるだけなんだろうな

やさいカレーってものが

カレーの上に炒めた野菜か油で揚げたのを

のっけてあるだけだ

いんちき食品なんだ

何だかきょうは

機嫌が悪い

 

シンプルライフ(2018年5月13日)

複雑なものは単純に

単純なものは複雑に

波打ち際にたたずむとき

永遠の繰り返しにたたずむ

こんな男がいたという

父母と三人暮らし

1匹の犬をかわいがり

人間の友だちを欲しなかった

義務教育だけは終えて

そのあとは社会というものと無縁に生きた

家にあって父母を助け

犬が死ぬと生き別れのつらさに耐えかねた

健脚だったので徒歩旅行にひとり

しばしば出かけるのだった

学ぶことは限りなくあり

書物に没頭しては時間が足りない

とこぼしていた

父を見送り母を看取り

一人身になっても

生き別れ死に別れするくらいなら

なんという身軽さ

シンプルライフ

ここにあり

乗り物酔い(2018年5月13日)

JR京都駅から特急に乗ると

行けないところはないくらい

特急は各地は向かう

乗り物酔いさえなければ

舞鶴だって、和歌山だって、金沢だって

日帰りでも一泊でも往復できるのだが

酔い方がただならないので

あきらめるしかない

もうちょっとだけスピードを落としてくれたら

しかし横揺れは防げない

なんとかならないのかなあ