三つ子の魂というくらいだから
人は三歳で完成してしまう
小さなユリと呼ばれた女の子は
20歳になっても30歳になっても
心は小さなユリのままだ
今、目の前にわれとわが娘がいるのだが
三歳の魂を今ももっているわけで
大人の人間だと思わないほうが
いいわけだ
三歳のころの姿を思い出して
ときには思い出にふける
三つ子の魂というくらいだから
人は三歳で完成してしまう
小さなユリと呼ばれた女の子は
20歳になっても30歳になっても
心は小さなユリのままだ
今、目の前にわれとわが娘がいるのだが
三歳の魂を今ももっているわけで
大人の人間だと思わないほうが
いいわけだ
三歳のころの姿を思い出して
ときには思い出にふける
寒さ厳しい季節である
それでも寒さがやわらぐ日も
あって冬日うるわし、と思う日がある
いつも行くコーヒーの店で
スポーツ新聞などひろげる気にもならず
ぼんやりとカップの中をのぞいたりしていると
隣りの席ではこんな話をふたりの男がしていた
挨拶ってこわいんだよな
どこが?
挨拶したいって言うから会ってみると
なんのことはない、新製品の売り込みだったのさ
こんにちはと言うだけだと思ってたんだろ
それで断るのにまたひと苦労したわけさ
だからさ
挨拶したいと言われたにうっかり
会ったりしないことさ
でもそれじゃ営業の人間は困るだろ
挨拶を口実にするのは彼らだって
死活問題なんじゃないの
このあとは聞きたかったのだが
用事を思い出して店をあとにした
ああもう年末、今年が終わる
終わったとたん、新年が始まる
こういうのは終わりとか始まりじゃなくて
単なる区切りなのではあるまいか
時が一本の糸のようなものなら
糸は途切れ目なくずっとずっと続いていく
そんな糸に引っ張られて
われらもずっとずっと続いていく
ある日、われらの糸は断ち切られる
もういいんだ 終りにしようぜ
娘とふたり向かい合って夕食をとっていた
はてしない時をさかのぼり
『小さなユリと』
という名の詩集を思い出した
幼い女の子を育てる男が書いた詩集である
シュミーズを洗い、パンツを洗いと
歌う
もし私の娘がユリと同じ年頃なら
きっと私も作者黒田三郎と同じように
娘に夕飯を食べさせ、風呂に入れ、
寝かしつけるだろう
目の前の娘は二十歳も越えた年頃なのだが
私にとってはユリと同い年の女の子に
重ねたほうがしっくりとくるものがある
5月連休のころだったか
クルマの運転のしかたを変えた
狭い道の向こう側から
対向車が来たとき
いつも
道幅が広くすれ違えるところまで
バックすることにしてみた
あたりまえだがクルマは後ろにも進める
ミラーを見て慎重に
バックする
対向車はするりと
難なく通過する
そのあとに
また前進をするわけだ
対向車が譲ってくれる、つまりバックしてくれるときが
ときどきある
そのとき以外は
ほとんどいつも譲ることにした
60秒かもっと時間がかかっているはずだ
対向車と意地の張り合いがない分
気分的に穏やかさを失わない
60秒の価値はある
古い話を持ちだすのは
いかにも年寄りじみて
恥ずべきおこないと
わかりつつ
半世紀も前の古びた校舎の
古びた教室
学生服の中学生の
国語の授業
のちに奇跡の教室で世に知られた
橋本武先生である
橋本武先生は
短歌の作り方を話してくれた
悪い作品を例にとって
これはいけないとたしなめられた
朝起きて 顔を洗って メシ食って
カバンを持って 学校へ行く
こんな当たり前は短歌じゃない
こんな話だ
時は過ぎて今
こどもが学校へ行かないうちでは
親はこんな短歌を読むと
涙ぐむかもしれない
あたりまえのことが
あたりまえにできる
それが奇跡だと
昨日の京都市の最高気温
38.8℃
百葉箱の中に納められた気温計が
示す温度がこれなら
炎天下での気温はもっと高い
40℃は越えているだろう
観光客は日程を変えられないからか
短パン姿でうちわを使って歩く
この歴史的な炎暑の夏を
生きているわけだ
なぜかしら
生きていることに感謝したくなった
事務部門のあたりを通り過ぎるとき
「遠からずうちも身売りしないといけませんね」
係長と課長がひそひそ話をしていた
ゴッホ学者は時間講師だから
つまり風に吹かれて行先が決まるような
立場だから
たいして気にも止めずに
底のすり減った靴で
威勢よく教室へ向かった
さて本日はひまわりの作品解説である
スライド写真を見せながら講釈をするわけだが
この日はいつもとなにか違った
自分の解説に疑問を抱いたのだった
ひまわりを植えたことも育てたこともない
そういう自分が何をえらそうにしゃべっているのか
教室をあとにした
時間講師は帰り道に園芸店に立ち寄り
土、ひまわりの種、プランターを
買い求めた
次なる年
ひまわりが花を咲かせた
時間講師は目を細めて見つめていた
少女だったころの
この人には会ったことがない
どんな人も少女だったころの
しぐさや物言いを
いくつになっても忘れない
首をかたむけるしぐさや
手を動かすしぐさに
この人はいつも
こうやって
生きて来たんだなと
思う
長い年月
夏は来ぬ
旅をするなら
若いうち
あのころは
夏を暑いと感じたことはなかった
海や浜辺や襲いかかる宿題の山山
鈍感だったのか
熱中するものがあったからなのか
海を見ているだけで
浜を歩くだけで
なんともいえないうれしさで
胸がいっぱいになっていた