この花なーに
お母さん
植物にくわしいお母さんはこう言った
ミモザっていうのよ
風がそのとき吹いて
女の子の帽子を飛ばしそうになった
女の子は両手で帽子を押さえた
ミモザの花は
ゆらゆら揺れている
この花なーに
お母さん
植物にくわしいお母さんはこう言った
ミモザっていうのよ
風がそのとき吹いて
女の子の帽子を飛ばしそうになった
女の子は両手で帽子を押さえた
ミモザの花は
ゆらゆら揺れている
春うららの嵐山
人影はなく
40年前に戻ったかのように
食材は宅配で注文するようになってから
もう25年
週末に食材を求めてスーパーマーケットへ
そんな暮らしはせずに来た
今日はこれを食べたいと思っても
そうはいかない
家にある物で作る食べ物を食べられれば
満足しなくちゃ
米だってトイレットペーパーだって買える
宅配のありがたさ
今年の目標は
フードロスを減らそう
あまりに平凡な題で
だれもが書ける話だ
けれども
入学式がなかったという話なら
かける人はぐんと少なるにちがいない
これから書くのは
入学式がなかった思い出
1968年4月
覚えている人がいるだろう
東大の入学式が中止されたことを
代わりに学科ごとの入学式が行われた
挨拶に立ったのは
政治学の教授の京極純一氏だった
丸い眼鏡をかけ、すでに白髪交じりの
背広姿だった
「もう一度入学試験をしたら君たちの3分の2は
入れ替わる」
続けて
「君たちに求められているのは卓越性の追求なんだ」
今もこの二つの話は忘れられない。
3月下旬のあたたかな週末
大文字山にもう一度登った
今度は銀閣寺のわきから
送り火の火元まで
ゆっくり歩いて1時間
息をきらして
登り切った
町並みを見下ろしながら
あれは何 これは何と
言い当てられないのがくやしい
言わずと知れたオードリーヘップバーンの
代表作。
誰もが見る映画の一つだ
私が見たのは30歳をだいぶ過ぎたころ
帰省したときに父の本棚にあるのを見つけたのだった
LDといって今はないタイプで、DVDの前身のものを
テレビ画面で見た。
「初めて観たな」と父にいうと
父は
「ずっと勉強に時間を割いていたから
見る時間がなかったんやな」
と父は言った
「なんや、こんな有名な映画を見たことなかったんか」
とは言わなかった。
父は、万事こんなふうに、
今風に言えば
息子の私の気持ちに寄り添ってくれる人だった
亡き父に
思いあふれて
散るさくら
パスタはたっぷり貯蔵庫に
パンもバターも貯蔵庫に
備蓄は十分
コメだってもち米だって
味噌も醤油も貯蔵庫に
備蓄は十分
ないものだって
たっぷりあるのだから
蜂蜜
親密
濃密
三蜜がなくて
ないものだって
たっぷりあるんだ
突然に思い出した あることを
それはね
昔々のことだった
古い校舎の古びた教室
ある日の授業
倫理社会の授業だった
先生がこんな話を聞かせてくれた
ある年の慶応大学の入試で出された、作文の問題
黒板にはこう書かれていた
慶応大学
への期待
について作文せよ
これを見て、ひとりの受験生は
「そうか、『へ』の期待を書くんだな」
そこで、時間いっぱいを使って
おならが出なくて苦しみ、おならが出るのを期待した話を書いた
その受験生が合格したかどうか
結末は忘れてしまった
遠い昔の、そして、
限りなく美しい日々の
思い出ひとつ
今なら
どんな苦しいことにも
どんなにつらいことにも
耐え忍ぶ
ひたすらに耐え忍ぶ
そんな力があるように思えるのだった
林の中では
落ち葉の上にまた落ち葉が重なり
耐えているわけではなかろうが
積み重なる落ち葉のように
耐え忍ぶ力が
今の自分にはあるように思えるのだった
桜花 つぼみで終わる 命かな
大文字 登りてみれば 春かすみ
青い空 雲は流れず 春風に
鳥泣きて 君なき春に 風そよぐ
公園に 叫び雄叫び 子らの声
目の下に 広がる下界 春を待つ