すっかり観光客の姿が見えなくなった京都
人出が減って寂しいくらいだ
オーバーツーリズムだったあの頃が
かえってなつかしい
遠足にきている幼稚園児の一団を見ている
どこか遠いところから来たとおぼしき
中年女性がいた
涙ぐんでいるような
喜びを
浮かべているような表情で
私も同じ気持ちだったのだろう
すっかり観光客の姿が見えなくなった京都
人出が減って寂しいくらいだ
オーバーツーリズムだったあの頃が
かえってなつかしい
遠足にきている幼稚園児の一団を見ている
どこか遠いところから来たとおぼしき
中年女性がいた
涙ぐんでいるような
喜びを
浮かべているような表情で
私も同じ気持ちだったのだろう
メロンの季節が過ぎていく
網目模様のメロンとはちがって
ハニージューメロンという品種がある
負けず劣らず、美味しいそうだ
今年は食べなかった
来年まで待ってみよう
ハニーは蜂蜜、いうまでもないけれど
米国では20歳前後の若さあふれる女性に
年配の女性が「ハニー」と声をかけるのだという
自分たちにもあんな日があったのだと
おそらくは懐かしみながら、
今まさに咲き競うような若い娘に
「ハニー」と呼びかける
国によらず、そういうことはよくあるようだ
今は遠くに行ってしまったわが娘も
どこそこでおばちゃんに声をかけられた
という話を聞かせてくれていた
朝のしたくをしながら
ふと娘を思い出した
夫婦連れを見ると
ああいいなあと思う
人目があるからどんな夫婦だって
多少の演技がしているものだ
演技交じりなんだ
そうとは思っても
ああいいなあと思う
今は仲良さそうに歩いてはいても
帰宅したら、喧嘩を始めるかもしれないよ
なんて思いながら
偶然に知り合いの夫婦連れに出会ったりしたら
でもやはり肩身が狭いとも
思うだろう
からごろも 着つつなれにし 妻しあれば
はるばる来ぬる 旅をしぞ思う
妻を思うこんな歌を作ってくれた
歌人を思い出す
日曜日の朝、遠くへ出かける用があって
まだ早い時間に妻と駅に向かった
プラットフォームには一組の親子らしき人物がベンチに
座っていた
私の診療所に通う女子高校生とその母親だった
ピアノ全国コンクールで優勝経験のある生徒で
年下ながら私の尊敬する人物であった
私の妻もピアニストで
自己紹介しておこうねと声を
かけて、その親子に近づいた
すると妻は
驚くほどの
丁重な言葉と態度で
なにがしの妻でございますと
その親子に挨拶をした。
あとにも先にも
妻のそのような姿を見たのは
なかった
上手だなと妻の演奏を
いつも思い、なんで無名なんだろうと
不思議に思うことがあった
上には上があって
かつまた層の厚いのがピアニストの世界で
きっとその女子高校生の方が
ある面では妻よりも上手なのだと思う
無名のままで終わった妻には
何の嫉妬もなかったものと
思う
まだまだ暑い京都だが、
北海道札幌に住んでいたころを
思い出した。
娘が小学生にあがる前、日曜日には
ときどき近所のお蕎麦屋さんへ行くのが楽しみだった
家族3人が卵そばを食べるのがいつもの習慣だった
ある日、天ぷらそばを注文した。
娘はいかにもおいしそうに平らげた。
それからというもの、お蕎麦屋さんに
いくと、娘はてんぷらそばを食べたいと
言うようになった。
そしていつもおいしそうに食べていた
今もてんぷらそばが好きなのかな
思いやりのない人はいない
ただ思いやりの心を使わない人がいるだけ
頭の悪い人はいない
頭の使い方が悪い人がいるだけ
地球上のどこかに
昼夜逆転の国があるとして
そこでは他の国々とは異なり
夜に目覚め日中は眠る
どんな不都合もなく
人々は幸福に暮らしているという
各国から昼夜逆転に苦しむ人が
続々と集結しているという
ある若者が日本から かの国に向けて
旅立った。
しばらくは幸福に暮らしていた
夜になるとジョギングやウォーキング、仕事や勉強に
取り組み、食事はおいしく、しかもぜい肉はない
やがて自分の家が恋しくなり
父母の顔を思い浮かべて涙するように
なった
あまりに悲嘆は深く、かの国の
通常の生活ができなくなった
夜は寝て、昼間に目覚めているようになってしまった
そうして
この若者は日本へ
父母のいる家に帰ることにした
帰国した若者は
今は、昼間におきて夜に寝るようになった
あまりにも大木になるので
嫌われるのだろう
京都市内を見て回り
たった1本を見つけた
私は柳が好きだ
私の耳は貝の殻
海の響きを懐かしむ
これは昔昔の詩集から
私の家は砂の城
壊れて建ててを
繰り返す
これは今日の私の心模様
私が 45歳のとき
母が逝った
「息子よ、私がいなくなってもあなたは生きていける。
私は逝きます。
ときどき私を思い出してほしい
私はいつもあなたのそばにいる」
私が63歳のとき
父が逝った
「せがれよ、わしがいなくなってもおまえは生きていける
わしは逝くぞ。
ときどきわしをおもいだしてくれ
わしはいつもおまえのそばにいる」
私が68歳のとき
妻が逝った
「夫よ、私がいなくなってもあなたは生きていける
私は逝くわ
ときどき私を思い出してほしい
私はいつもあなたのそばにいる」
頼る人、もたれかかる人が
次々と逝き、
そのたびに光のささない谷底に落とされ
はだしの足ではいあがってきたのだった