マスクをつけるのが標準の時代なので
愛の作法も変わってきた
マスクを外すことが
サインとなった
愛ある者同士のあいだでは
マスクを外す
じゃあ
マスクを外そうか
これが親密の言葉になった
愛の作法がひとつふえたわけで
歓迎したい
マスクをつけるのが標準の時代なので
愛の作法も変わってきた
マスクを外すことが
サインとなった
愛ある者同士のあいだでは
マスクを外す
じゃあ
マスクを外そうか
これが親密の言葉になった
愛の作法がひとつふえたわけで
歓迎したい
コロナと共生するのだという
共生というなら
双方に何かしらの得があるときに
言うのではなかったの?
一方だけが得するときには
共生とは言わないんじゃないかな
それでも
with コロナだと人は言う
天にあるコロナが人を支配しているのだから
under コロナ
こういってほしいものだ
名前がおもしろくて
忘れられない
英語では
roomba
roomに
baがついて
roomba
もし寄付を受ける団体を
作るなら
名前は何にしよう
キフミーがいいな
キスミー or キフミー
紙類、郵便物、雑誌、その他にもいろんな物が
テーブルに所狭しと並んでいて、片付けに困っていた
ふと思いついた
とりあえず、A4サイズの箱に入れてみようと
小さな紙はファイルにはさんで
全部を箱に収めてみた
するとどうだろう
机の上がかたづいた
なんだ
こんなに広かったんだ
すっかり観光客の姿が見えなくなった京都
人出が減って寂しいくらいだ
オーバーツーリズムだったあの頃が
かえってなつかしい
遠足にきている幼稚園児の一団を見ている
どこか遠いところから来たとおぼしき
中年女性がいた
涙ぐんでいるような
喜びを
浮かべているような表情で
私も同じ気持ちだったのだろう
メロンの季節が過ぎていく
網目模様のメロンとはちがって
ハニージューメロンという品種がある
負けず劣らず、美味しいそうだ
今年は食べなかった
来年まで待ってみよう
ハニーは蜂蜜、いうまでもないけれど
米国では20歳前後の若さあふれる女性に
年配の女性が「ハニー」と声をかけるのだという
自分たちにもあんな日があったのだと
おそらくは懐かしみながら、
今まさに咲き競うような若い娘に
「ハニー」と呼びかける
国によらず、そういうことはよくあるようだ
今は遠くに行ってしまったわが娘も
どこそこでおばちゃんに声をかけられた
という話を聞かせてくれていた
朝のしたくをしながら
ふと娘を思い出した
夫婦連れを見ると
ああいいなあと思う
人目があるからどんな夫婦だって
多少の演技がしているものだ
演技交じりなんだ
そうとは思っても
ああいいなあと思う
今は仲良さそうに歩いてはいても
帰宅したら、喧嘩を始めるかもしれないよ
なんて思いながら
偶然に知り合いの夫婦連れに出会ったりしたら
でもやはり肩身が狭いとも
思うだろう
からごろも 着つつなれにし 妻しあれば
はるばる来ぬる 旅をしぞ思う
妻を思うこんな歌を作ってくれた
歌人を思い出す
日曜日の朝、遠くへ出かける用があって
まだ早い時間に妻と駅に向かった
プラットフォームには一組の親子らしき人物がベンチに
座っていた
私の診療所に通う女子高校生とその母親だった
ピアノ全国コンクールで優勝経験のある生徒で
年下ながら私の尊敬する人物であった
私の妻もピアニストで
自己紹介しておこうねと声を
かけて、その親子に近づいた
すると妻は
驚くほどの
丁重な言葉と態度で
なにがしの妻でございますと
その親子に挨拶をした。
あとにも先にも
妻のそのような姿を見たのは
なかった
上手だなと妻の演奏を
いつも思い、なんで無名なんだろうと
不思議に思うことがあった
上には上があって
かつまた層の厚いのがピアニストの世界で
きっとその女子高校生の方が
ある面では妻よりも上手なのだと思う
無名のままで終わった妻には
何の嫉妬もなかったものと
思う
まだまだ暑い京都だが、
北海道札幌に住んでいたころを
思い出した。
娘が小学生にあがる前、日曜日には
ときどき近所のお蕎麦屋さんへ行くのが楽しみだった
家族3人が卵そばを食べるのがいつもの習慣だった
ある日、天ぷらそばを注文した。
娘はいかにもおいしそうに平らげた。
それからというもの、お蕎麦屋さんに
いくと、娘はてんぷらそばを食べたいと
言うようになった。
そしていつもおいしそうに食べていた
今もてんぷらそばが好きなのかな
思いやりのない人はいない
ただ思いやりの心を使わない人がいるだけ
頭の悪い人はいない
頭の使い方が悪い人がいるだけ