家をでかける前
着古した背広を着ようとしたとき
ボタンがひとつ
とれて落ちた
落ちたボタンは欠けていた
妻が逝ってちょうど1週間目の朝
家をでかける前
着古した背広を着ようとしたとき
ボタンがひとつ
とれて落ちた
落ちたボタンは欠けていた
妻が逝ってちょうど1週間目の朝
三つ子の魂というくらいだから
人は三歳で完成してしまう
小さなユリと呼ばれた女の子は
20歳になっても30歳になっても
心は小さなユリのままだ
今、目の前にわれとわが娘がいるのだが
三歳の魂を今ももっているわけで
大人の人間だと思わないほうが
いいわけだ
三歳のころの姿を思い出して
ときには思い出にふける
寒さ厳しい季節である
それでも寒さがやわらぐ日も
あって冬日うるわし、と思う日がある
いつも行くコーヒーの店で
スポーツ新聞などひろげる気にもならず
ぼんやりとカップの中をのぞいたりしていると
隣りの席ではこんな話をふたりの男がしていた
挨拶ってこわいんだよな
どこが?
挨拶したいって言うから会ってみると
なんのことはない、新製品の売り込みだったのさ
こんにちはと言うだけだと思ってたんだろ
それで断るのにまたひと苦労したわけさ
だからさ
挨拶したいと言われたにうっかり
会ったりしないことさ
でもそれじゃ営業の人間は困るだろ
挨拶を口実にするのは彼らだって
死活問題なんじゃないの
このあとは聞きたかったのだが
用事を思い出して店をあとにした