愛のオーヌス(平成28年3月26日)

宿直室では

硬いソファに寝そべって

宿直員が手持無沙汰にテレビジョンを見ていた

愛のオーヌス

画面に映画の題字が映った

なんだこれは

アヌスなら聞いたことがあるが

オーヌスってなんだ

愛のオーメンならどこかで見たが

 

オーヌスでもオーメンでもアヌスでも

自分には関係ないことだ

夫婦別居にいたったわが身が

急にいじらしくなり

何だか泣けてきた

 

愛のコリーダを

愛のこりごりと

誤読する無学な男なので

アヌスは肛門

オーヌスは重荷

オーメンは予兆

知るはずはなかった

 

開花宣言(平成28年3月23日)

開花宣言だってね

出世したもんだな

おれたちは

アメリカ独立宣言と

比べられた日には

面はゆいな

ただの桜の木なんぞには

もったいすぎるお言葉だ

 

犬が小便をひっかけたり

鳩がフンをしたり

さんざんな目にあってきたおいらには

宣言だけはよしてくれ

DECLARATION OF FLOWERING

もうよしとくれ

かってに咲かせてくれ

 

 

 

 

 

黒髪(平成28年3月23日)

世間では小学校卒業式

学校近くの喫茶店では

卒業式後の正装の父母らが

ほっとした表情をうかべ

コーヒーや紅茶のカップを

手に取っている

かたわらには

高齢婦人が二人

長話をしている

 

髪が黒い時期なんて

ほんの短いもんだよ

私らを見てごらんよ

染めてやらないとみっともなくて

相方は染めない主義らしく

白髪を短めにすそをそろえている

髪が黒のうちは黒を大切にしないとね

染めたいのなら白髪になってからでいいと

私は思うんだよ

こんな話をしながら

タバコをふかしていた

誰もいなくなった講堂では

用務員が落し物がないか

丹念に見て回っていた

春が来るたび無知を思い知る(平成28年3月6日)

中原中也 「また来ん春」

また来(こ)ん春と人は云(い)う

しかし私は辛いのだ

春が来たって何になろ

あの子が返ってくる来るじゃない

おもえば今年の五月には

おまえを抱いて動物園

象を見せても猫(にゃあ)といい

鳥を見せても猫(にゃあ)だった

最後に見せた鹿だけは

角によっぽど惹かれてか

何とも云わず 眺めてた

 

こどもだから無知はあたりまえ

無邪気ゆえにかわいらしい

笑っていればいいのだが

にわかに不安に襲われる

幼児と自分と どれだけの

違いがあるのだろう

象を見せても猫(にゃあ)といい

春だ 桜だ 花見酒

鳥を見せても猫(にゃあ)だった

春だ 桜だ 花見酒

どこが違う

春が来るたび

われらが無知を恥ずる

遠くへ来たわけではないことを

ただ古びただけであることを

思い知る

 

もっと遠くへ(平成28年3月6日)

人は決まって遠くへ行きすぎる

人は決まって遠くへ行きたがる

困ったものだが

それは人の習性

それは社会の習性

遠くへ行きすぎると どうなるか

決まって難民となる

なにゆえに自分はここにいるのかを

知らずして

りっぱな暮らしをしてはいても

心は難民である

まして零落していれば

身も心も難民である

難民にならないように

遠くへ行きすぎるなかれ

降参(平成28年3月4日)

相手の興味あることに

関心を持ち

異質のものを

受け入れる

それは降参だ

それは屈服だ

降参する者

屈服する者だけが

生き延びる

それを愛と呼んでもかまわない

我を張る者は

勝利しながら

得るものはなにもない

言葉は変わる(平成28年3月2日)

言葉は生き物

不思議にも下落していく

時は過ぎ

人は変わり

言葉は遷り変わり

万物は流転する

貴様は罵り語になり

御前が蔑称になり

大将は揶揄語となり果てた

 

一所懸命が

一生懸命になり

息抜きの暇とてない

暗黒の雲が空をおおう

人はもはや青空を知らない

 

発達障害や人格障害 

あまたある精神障害が

あろうとなかろうと

ただひとつのものに

貫きとおされた日々の営み

一所懸命だけが

あらまほしい人の姿