平成28年 西暦2016年
うるう年である
一日得したような気分になる
明日は手つかず
こんなことわざがある
明日はまっさらな時間が開かれている
やり直し 出直し 再出発
新たに生きることができるのだ
明日は手つかず
平成28年 西暦2016年
うるう年である
一日得したような気分になる
明日は手つかず
こんなことわざがある
明日はまっさらな時間が開かれている
やり直し 出直し 再出発
新たに生きることができるのだ
明日は手つかず
12月に「Foujita」という題の映画を見た。
フランス語で書かれた名前を日本語表記に戻すと
藤田になる。
藤田嗣治(つぐはる)という名の画家がいた。
彼をモデルにした伝記映画である。
1886年に生まれ、1968年、スイスの病院で亡くなった。
パリで絵画を売って暮らしを立てた初めての日本人画家である。
私がこの画家に興味を持つのは、フランスにあって
おそらく劣等感を持たなかったと思われることだ。
ピカソやモジリアニらに交わって、互角に勝負ができたではないか。
書きたいことはたくさんあるけれど、
映画の中に出てくる高村光太郎の「雨に打たるるカテドラル」という
高村光太郎の詩のことを残りのスペースで書きたい。
映画では雨の中、傘をさし、ノートルダム寺院に向かって、一人の男が
詩を吟じている場面がある。
光太郎の詩はいつもそうなのだが、勇壮という言葉がふさわしい。
おうまたふきつのる雨風
このリフレインが基調をなし、雨の日も晴れの日も飽きず見上げ続け、
ノートルダム寺院と自分とが対峙するのだという気迫に満ちた詩である。
確かに詩の題は「雨に打たれる」だが、光太郎はノートルダム寺院に日参しているので晴れの日も曇りの日もあったはずだ。
そうなのだからあえて撮影に雨の日を選ぶ必要はなかったし、
雨が生かされているとも思えない。観光客が絶えることなく
訪れる寺院にしては他に誰もいないさびしい画面になってしまった。
「雨に打たるるカテドラル」は忘れられている詩のひとつだし、光太郎も忘れられた詩人のひとりである。
そんな詩をとりあげた小栗監督の意図は成功したのかどうか。
嗣治と光太郎。
二人ともに戦争協力者と呼ばれ、戦後に追放されまたは隠遁させられた運命を共通に持つ。
それぞれの戦後があり
芸術家の魂は一貫して生き続け
作品を作り、残し、われわれに今も鑑賞させてくれるのである
正月
羽子板
(あごが痛い)
百人一首
(一酒ならなおいい)
ふくからにあきのくさきのしおるれば
むべやまかぜをあらしといふらん
小倉百人一首にふくまれているけれど
今なら小学生が詠みそうな歌である
風と言う字 嵐という字
書きにくく
何度書いても満足がいかない
漢字もちゃんと知ってるのだぜ
見せびらかしたいがための歌かもしれない
今日詩を書いたからといって
明日も詩を書けるとは限らない
芸術や文芸や創作にたずさわるとは
約束されていない地点に立つことだ
機械化されたあるいは
手順の確立されたことなら
昨日できたことが今日もできるだろう
歌手は明日も歌えるだろうかと
気をもむ必要はない
小説家 画家 詩人 歌人
これらの人は
過去に小説を書いた人
過去に絵を描いた人
過去に詩を書いた人
過去に歌を詠んだ人
未来は誰にもわからない
不治の病ですと
告げられたあの日を
境に
娘二人の態度が変わった
だらしなさが消え
身づくろいを丁寧にし
言葉使いさえもあらたまった
一年が過ぎて
自分はこうして一見変わりなく生きているのだが
娘はふたりとも結婚を決めた
まもなくそれぞれに子どもが生まれ
お宮参りをすることとなった
抗がん剤の影響で声帯が硬くなったのだけれど
最後と思い歌のリサイタルを開くと
会場に集まった友人らは
涙を流して聴いていた
はげ頭!
大きな声が発せられた
教授は意に介するそぶりもなく
ベッドの一人一人の
腕をとり聴診器を胸に当てる
再び はげ頭!
さっきよりももっと大きな声が
発せられた
教授は悠然と歩き去り
隣りの病室へと向かった
ここは小児科病棟
白血病の子どもたちが
入院する病棟だ
育ち盛りの小学生中学生が
お気に入りのおもちゃと
勉強の本をベッドの脇においている
朝の回診に
あの叫び声がある限り
生きていける
治るのだ
教授は信念が胸にわくのを感じるのだった
交差点に入り
左折するバスと
直進する乗用車とが
すれちがう
その完ぺきさ
あたりまえの
いつもの風景なのだが
なぜか妙に心がうたれた
1台1台のバスもクルマも
一人一人の通行人も
自分の役割を心得た役者のように
朝の劇をつくりあげていく
わたしもまた劇中人物のひとりになって
交差点の手前を
左へと折れて歩いていくのだった
イタリア語にはKがない
フランス語にはHがない
アルファベット26文字は英語の話だけだった
イタリア人はキッスをしないのだろうか
だってKという文字がないのだから
心配性の中一男子が
明日はテストだというのに
こんなことを考えながら
机に向かっていた
毎朝の通学路で目に入る文字はP
目につくクルマのマークはW
明日は落第点をとってしまいそうだ
昔々の恥ずかしい思い出である
母の友人が近所の誼で
よく話しに来ていた
腕回りが太く
わたしと妹はいつも
「あのおばちゃんの腕太いなあ」
としゃべり合っていた
ある時
いつものように話し込んでいる
そばに行って
「おばちゃん 腕回りを測らせて」
嫌がりもせずに腕を測らせてくれた
私と妹は「やっぱり太いなあ」と
感嘆したのであった
ずいぶんと失礼なことをしたものだ
無邪気で鈍感で愚かきわまりなく
なんと性悪な兄妹であったことだろう
冬の夜
輝きに惹かれて
街を歩いてみた
木々も建物も
趣向を凝らした明かりに照らされ
昼間と同じ街とは思えない
海を思い出した
暗くさみしく波音が聞えて
きびすを返して
立ち去るだろう
あの懐かしい海なのに
ライトアップされないもの
海
そして
われらの心の内奥