草ぼうぼうのだだっ広い庭
放置され
がれき、枯れ木、枯草に
足をとられる
この庭の草ひきをたった一人でやり遂げないと
ならないのだ
順序と段取りと
老婦はしばらく考え込んだ
誰の指図も受けず
自分の体力を考え
気ままに進められる作業に
やる気がわいてくる
昼食の弁当も水筒も用意している
空は晴れて
ただ一人
草ぼうぼうのだだっ広い庭
放置され
がれき、枯れ木、枯草に
足をとられる
この庭の草ひきをたった一人でやり遂げないと
ならないのだ
順序と段取りと
老婦はしばらく考え込んだ
誰の指図も受けず
自分の体力を考え
気ままに進められる作業に
やる気がわいてくる
昼食の弁当も水筒も用意している
空は晴れて
ただ一人
帝王切開手術の朝
それは緊張の時間である
手術前の患者そして医師
患者は手術の成功を祈り
医師の技量を信じるのみである
医師は集中力を高め
いったん始めればやり遂げる決意を
あらたにする
麻酔がかかる前
手術室師長が患者の耳元で
いつもこう言うのだ
「この先生はものすごくアホ
しかし手術は抜群にうまい
だから安心してね」
医師は苦笑いし
患者の目にうっすら涙がうかんだ
都会へ出てしまった息子から
便りが届かないか
今日も郵便受けのあたりを
うろうろ
息子へ送るみかんや柿を
箱につめて
郵便局へ向かった
開店を待っているのだが
いっこうに
その気配が感じられなかった
今日が祝日であることを老婦人は知らなかったのだ
もっと知らなかったことがある
息子は1年前に事故に遭って
他界していた
もうろくした老婦人は忘れ去っていたのだった
これから冬に向かう
あきらめと覚悟
暖かな日の再来と
その日に自分が生きてめぐりあえるのを祈って
冬の楽しみをありったけ考えてみる
衣服のアイテムの豊富さ
靴下からコートまで組み合わせを楽しめる
魚介類と野菜の豊富さ
食道楽ができるだろう
葉を落とした木々の間に鳥が群れて
空の広がりをしみじみと感じる
早朝に犬をつれて散歩に出る
向かいからも犬をつれた人がやってくる
軽く会釈してとおりすぎる
いつもの光景である
雨の日
部屋で犬とじゃれていると
鼻をかまれ流血し
救急受診し応急処置を受けた
傷口は深く形成外科にかようことになった
自分が犬の飼い主なのだが
逆も言えるとこの飼い主は思うのだ
犬がこの自分を飼っているのだと
雨でない限り
犬がこの自分を散歩につれていってくれる
そう
主人は犬なのだ
この服を自分が着ていると思っているのだが
そうではない
服が自分に着せてやっているのだ
主人は服だ
夜
眠りに落ちる前に
枕を頭に当てる
枕が自分の首と頭を
当てているのだ
主人は枕だ
もういい
誰が主人であってもいい
自分はただ夜に深く眠りたいだけだ
言葉をあやつり
言葉を飾り
かくして
世界は作られる
世界は言葉でできている
言葉をいかにあやつろうとも
言葉をいかに飾ろうとも
言葉の世界は作られても
声は真実を告げる
いつも
言葉の世界を声が打ち壊す
アマデウス
モーツァルトを描いた映画があり
一場面があり
それはこんな情景である
妻のコンスタンツェがモーツァルトに
「ウルフィー」と呼びかける声だ
その優しさ
その声に込められた愛情
女が男を愛するとき
男が女を愛するとき
人が人を愛するとき
親が子を愛するとき
声に
思いがあらわれる
声が世界を創る
声だけが世界を創るのだ
犬や猫では
歩くと走るとが
はっきりとちがいがある
人でも歩くと走るのちがいが
たしかにある
その境い目はどこに
こんなことを考えるよりも
走ることも歩くこともできるうちに
走りたいと思う
犬だって猫だって走るのだから
「雨にも負けず」の詩句では
でくのぼうと呼ばれ
これがこの詩の神髄である
言いかえをしてもいい
アホ バカ マヌケと呼ばれ
今日も
アホ バカ マヌケ
と呼ばれ
呼ばれ続けて
それにしてはたいしてめげずに生きている
そういう者に
私はなりたい
きみはアイロンかけをしたことがあるだろうか
きみはいつもアイロンかけをしているだろうか
ここにアイロンかけのじょうずな男がいる
貧乏学生だった頃にアイロンかけをおぼえた
おぼえた行為は習慣となり
思考を必要とせず腕が動く
男は毎晩
幼稚園の制服にアイロンを当てる
娘は四歳年少さん
定職がないわが身のふがいなさが
ときに脳裏をよぎるのだけれど
今夜もアイロンかけに余念がない
園から帰宅し娘が見せた表情を
思い返すとき手がとまる
服の上に一滴、二滴としたたり落ちた物があった
目からの涙だったのか
額からの汗だったのか
男はアイロンかけを続けた
家族の寝静まった夜の
闇の深さが一層深くなった