カエデの日曜日(平成26年5月18日)

青モミジの時期がすぎた。

明るい緑色から濃い緑色へ

葉の色は変わってきた。

メガネのような形の紅色のものが現われた。

これは種。

紅葉の時期にはすっかり種も成熟して

プロペラのように風に吹かれて

飛んでいく。

落ちた土地で来年の春、芽を出すことができたら

カエデの成長が始まる。

双葉から4枚、6枚と葉がふえていくころ

葉を支える幹は針ほどの太さしかなく

とても幹とは呼べない。

3年、4年と時がすぎて

初めて幹らしくなっていく。

 

 

みかんの花(平成26年5月16日)

みかんの花を見た

色は白

香がいい

産地では今頃

みかん山全体が香っていることだろう

夜になればネコがみかんの木のたもとで眠る

年若いカップルが月明かりに照らされた

たがいの顔を見つめ合う

今夜は満月なのだ

 

与謝野晶子 君死にたもうことなかれ(平成26年5月14日)

朝、いつものように出勤のしたくを

終えようとしていたとき

自作が思い浮かぶ代わりに

記憶がよみがえった

 

君死にたまふことなかれ   

    (旅順の攻圍軍にある弟宗七を歎きて) 

與 謝 野  晶 子


ああ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
末に生れし君なれば
親のなさけは勝りしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せと敎へしや、
人を殺して死ねよとて
廿四(にじふし)までを育てしや。

堺の街のあきびとの
老舗(しにせ)を誇るあるじにて、
親の名を繼ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家の習ひに無きことを。

君死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、
互(かたみ)に人の血を流し、
獸の道に死ねよとは、
死ぬるを人の譽れとは、
おほみこころの深ければ
もとより如何で思(おぼ)されん。

ああ、弟よ、戰ひに
君死にたまふことなかれ。
過ぎにし秋を父君に
おくれたまへる母君は、
歎きのなかに、いたましく、
我子を召され、家を守(も)り、
安しと聞ける大御代(おほみよ)も
母の白髮(しらが)は増さりゆく。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかに若き新妻を
君忘るるや、思へるや。
十月(とつき)も添はで別れたる
少女(をとめ)ごころを思ひみよ。
この世ひとりの君ならで
ああまた誰を頼むべき。
君死にたまふことなかれ。

リンゴの木(平成26年5月14日)

マルティン・ルターかく語りき

明日世界が滅びようとも

私はリンゴの木を植える

そうなのだ

木を植えることは何物にもまして

最優先しなければならない

大きくなる速度を早めることはできないのだから

植える時期を早くしないといけない

そうなのだ

木を植えることは人生の最緊急事なのだ

それにしても雨上がりの

木の幹の美しいこと

きみのように

 

雁は八百 矢は三本(平成26年5月13日)

ツバメの季節が来た

巣を作り、卵を産み、ひなを育てる

見事になしとげる

巣作りすることは脳にまえもって

プログラムされているのだという

それにしても巣の材料を探し、

材料を組み立てるのはプログラムされては

いないだろう

ひなのためエサを探す行動は

プログラムされてはいても

どこでどう見つけるかは1匹のツバメが

あらんかぎりの知恵をつかってなしとげるしかない

その身ひとつで持ち物なしで生きていくのは

驚異的である

雁という鳥の話しへ移る

題名はことわざを使ったもの

空には射落としたい雁が無数に飛んでいる

それなのに

自分が射ることができる矢は

たったの3本しかない。

いくら多くても3羽の雁しか

射落とすことはできない

これは比喩である

欲張るなかれ

あきらめろ

狙いをひとつに絞れ

こういう意味なんだそうである

それなのに

ちまたにはなんとたくさんの

欲望をかきたてる装置のあることだろう

東海林さだお氏の「週間朝日」連載コラムの題は

「あれも食いたい これも食いたい」

まことに欲望全開の

おもうしろうてやがて悲しきストーリーに

ふと空虚な心地になる

いそがしいハチ(平成26年5月11日)

白いツツジの花

花期は長いのだけれど

さすがに茶色に変わってきた

散るのもあるが

しっかりとがくに

くっついているのもある

ひとつひとつとりのぞいてみた

ハチが飛んでいるすぐそばで

はなびらをむしる

ハチはいそがしいのだ

ハチミツをつくるのだがら

bee  is  busy

人をさしているひまなどありはしない

 

カシの木(平成26年5月11日)

4年前、カシの木の根元に春先に葉が

落ちてつもっているのに気づいた

毎年見ていたはずなのだが

はじめて意識にのぼったのだった

すべての葉が落ちるのだろうか?

そうなのだ

全部の葉が新しい葉に入れ替わるのだった

常緑樹だから、葉を落とさないのではない

葉のない時期がないのが常緑樹

カシの隣の金木犀はほとんど葉を落とさなかった

 

 

連休が終わった(平成26年5月9日)

renkyu wa owatta

つくば市で学生だった頃

1年生の化学の講義

こんなローマ字を黒板に書いた

教授がいた

本格的に授業が始まる時期が来る

合図だったのだ

次の連休は海の日

umi no hi o matinagara

海の日を待ちながら

夕方になっても明るい空に

伊丹へ向かう飛行機が

くっきりと雲をえがいた

75回の夜と昼とを

泳ぎきらない者は

母なる海へ到達できない

 

 

 

大きな木(平成26年5月7日)

くるみの木を思い出した

北海道にあった1本のくるみの木を

思い出した

樹高10メートルはありそうな大木

秋には実をつけて落ちると黒くなった

鬼ぐるみを拾い集めて実を食べた

シルバスタインの『大きな木』

欲望に駆られた男が次々に

りんごの木に要求して最後には

幹を切り倒してしまう話

献身に生きた母なる木と

貪欲のままに東奔西走するが

決して満たされることのない

哀れな男の物語

もう見ることのないクルミの木と

リンゴの木の思い出がせつなく

よみがえった

 

屋根より高くない(平成26年5月6日)

ふるさとの町には

川が流れている

ただし大雨のとき以外は

かろうじて水が流れているほどだし

2級河川どころか3級、あるいは

それ以下といったところ

こいのぼりが川の水面上すぐに

とりつけられていて

見上げるのではなく

見下ろすような位置にある

うしろから歩いてきた女の子曰く

屋根より高くないね

このこいのぼりは

高層中層低層入り乱れ

瓦屋根は少なくなってしまった

この時代

それでも歌は同じままだ