あの強靭な精神
あの壮健な身体
比類なき単独峰
及ぶことはできない
どれだけ助けられたことか
フロイトかく語りき
人生は有限である
すべての物事は満ち足りることがない
この法則のもとに
衆生は生きねばならない
あの強靭な精神
あの壮健な身体
比類なき単独峰
及ぶことはできない
どれだけ助けられたことか
フロイトかく語りき
人生は有限である
すべての物事は満ち足りることがない
この法則のもとに
衆生は生きねばならない
耳にした人も多いと思う。
パウロの愛についての言葉。
その時代、活字を読むのではなく
人々は耳でこの言葉を聞いた。
忘れないために
思い出すために
何度でも読み返さなくてはならない
われとわが骨身になるまで
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愛は寛容なもの、
慈悲深いものは愛。
愛は、ねたまず、高ぶらず、誇らない。
見苦しいふるまいをせず、
自分の利益を求めず、
怒らず、
人 の悪事を数え立てない。
不正を喜ばないが、人とともに真理を喜ぶ。
すべてをこらえ、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ
年に一度
若者のいない町に神様が還ってくる
還幸祭に神幸祭
今年もお還りのときが来た
御神輿を担ぐのは腰痛の出始めた
中年者ばかり
とうとう今年は御神輿に車台を
とりつけた
それでも腰はみしみしと音がするほど
酷使された
掛け声は弱弱しく
目には日ごろの悩みの色を浮かべている
翌日の朝
整形外科に接骨院に
大勢がおとずれた
祭りはマンネリそのもの
それでいいんだ
きみマンネリをあざわらうことなかれ
人生とはマンネリのことだから
たった三つの原色から
千変万化の色合いができあがる
これほど美しい現象はない
空の色 海の色
地中海は紺碧の海
新しき背広を着ていくようなところではないけれど
あまりに遠い
魚一匹とれないというが
本当か
プランクトンのいない
純水と塩化ナトリウムの世界
だから紺碧
どんな虫だか知らないけれど
苦虫をかみつぶしたような
表情の男がいた
しもた屋に陣取って
道行く通行人に目をやっている
さかんな店をしていたものだが
今は誰もその男に
目をやらない
公道にはみ出さんばかりに
並べられたトロ箱には
大根、キャベツ、葉っぱもの
どれもこれも貧弱そのもの
相当の年なのだろうに
ひとりポツンと座り込んでいる
その隣に似合うのは
この私かもしれない
天気予報のとおり午後には雨が
降り出した。
8時近くなった帰宅の頃には
小ぶりになっていた。
歩道に1匹、みみずがはっていた。
植え込みから転落したのか、
コンクリートの上をさまよっていた。
このままでは歩行者に踏まれるか
歩道を走る自転車にひかれるか
そうでなくとも明日晴れ間が出たら
日干しになりそうである。
素手でつかむのは気味悪いので
大きな葉っぱにくるんで植え込みの
土の上に置いた。
まさか恩返しはしてくれないだろう。
土曜日の昼が来た
6日間の仕事日が終わる
週末のベルが鳴る
デッキでくつろぐネコも
眠たげな目をしている
早朝カラスの群れがたけだけしい鳴き方を
していた
あれは争いをしていたのだ
闘いは終わった
どこにもカラスの姿は見えなくなった
水田がなくなっていく
数年前まではあんなに鳴き声が
聞えていたカエルもいなくなった
ぽっかりと天に空いた穴のような
土曜日の午後
魂が穴からさまよい出ていく
月曜日の朝まで
行方知れずになるのだ
風呂の戸ではないよ
フロイトだよ
思えば世話になったものだ
フロイトのアイデアに
何度助けられたことか
言い間違いの中には
その人の本音が隠されている
フロイディアン・スプリット
市井の町医者として
年中無休の診察
絶え間ない執筆
フロイトのように
生きることができるなら
アカシジア
明石ではないよ
アカシジアだよ
精神科医の専門用語だ
隠語だ
知らなくて当然だ
とある薬物の副作用のことだ
パーキンソン病にそっくりの症状
イタリア語で何て言うのか
調べてみた
ふつうの辞書にはのっていない
隠語だからむりはない
イタリアは半世紀前に
精神病院を廃止した
偉大な国
イタリア語にはKがない
かの国ではキスをしないのだろうか
国境をいとも簡単にこえて
イタリア人はフランスの
精神病院に入院している
フランス語にはHがない
かの国の人はHをしないのだろうか
そんなことを
極東の四十八音の国の
私が心配しなくていい
夜になれば眠っていいのだ
地球の裏側にまで落ちていくような
深い眠りを
子ネコを産んだ母ネコはやせて小さくなった
このところ毎日エサをねだりに来ている。
いつになったら、子ネコを連れて来るのだろう。
去年は7月になってからだった。
まだ1か月以上も先だ。