卵と壁

~村上春樹氏受賞スピーチに寄せて~

 卵をこわれやすいもの、弱いもののたとえに用いた話だったのだそうだ。卵のこわれやすさのことを考えてみた。
 自然界にはニワトリの卵の殻と同じような強度で同じような形のものは他にはなさそうだ。あのこわれやすさが理にかなっていることを最初に言いたい。
 もし、卵の殻が相当堅い、つまり、強度が相当のものだと仮定してみよう。そうするとどうなるか? ひよこが内側から殻をつついて破ることができなくなるだろう。他の動物がニワトリの卵を失敬して食べてしまうことができなくなるだろう。大変堅いわけだから、どんな動物であってもその殻をこわせないのである。人間にとっても食用にならないだろう。ゆで卵をつくったりすると大変なことになる。食卓の角でコンコンとたたいたくらいでは殻をむくことができない。
 だから、あのこわれやすさ、あの殻のうすさがとても大切なのだ。強く握れば素手で簡単につぶれてしまい、卵どうしがぶつかれば簡単に壊れてしまう。その壊れやすさが実に卵の長所なのである。
 つまり、強ければいい、というのではないのである。

時計がおもしろくなくなった

 時計といっても卓上時計のことだ。壁掛け時計や腕時計のことではない。この頃の卓上時計はほとんどがデジタル時計である。家電量販店の店頭には種々の製品が並べられている。多少の外観の違いはあっても、文字盤を見れば、まったく同じに見える。
 0から9までのどの数字も表示するためなのであろう。どの時計も見ても、数字の形は同じである。
 壁掛け時計ならそれぞれ数字の字体の違いがあって、個性的に見える。大きさも大小さまざまだ。それに比べて、デジタル置時計の大きさはそれほど変わりがない。肝腎の時計本体が同じなのではないだろうか。
 同じ置時計でもアナログ時計なら文字盤や数字の字体や長針・短針の形にも違いがほどこされている。さらには外観も大きく異なるものがある。
 時刻さえわかれば用が足りるわけだから、字体がどうの、文字盤がどうの、という方がおかしいと考える人が大半を占めているのだろう。
 デジタル時計は今始ったばかりだ。これから長い年月が過ぎれば、もっと多種多様な形の美しさを見せてくれるのかもしれない。