くちなしの香り

 シクラメンのかおりという歌がある。香りのいい花といえば、くちなし、きんもくせい、じんちょうげが王様格である。残念ながらシクラメンは香りよりは姿をめでる花だろう。くちなしは姿もかれんである。

 隣り家の庭にこないだから、くちなしが香っている。写真をとらせてもらった。葉は虫食い状になっている。きっと虫が食べるとおいしいのだろう。香りはみかんの花の香りに似ている。

 みかんの花の香りをかいだことのある人は多くないはずだ。マラソン・ランナーの松田明美さんがみかんの花の香りはすばらしいと新聞コラムに書いていた。みかんの木の葉はカミナリアゲハの大好物だ。カミナリアゲハはくちなしの葉も好物なのかもしれない。

 くちなしは実が黄色である。食べ物の色づけに使われる。

楠のある学校

 華道家の池坊保子さんの本に『楠のある家』という1冊がある。楠は日本の中ではいちばん高くなる木だ。常緑樹なので、一年中葉を茂らせている。神秘、高貴、優美を兼ね備えた木である。

 午後、楠のある学校へ所用で出かけた。京都府立聾学校という学校で、仁和寺のちょうど真裏にある。この学校の先生は、当然のことだけれど、手話が上手だ。たとえば野球だと打者のかっこうをする。スポーツは身振りで表現するわけだ。ところでシンクロナイズド・スイミングならどんな身振りをするのだろう?

 楠の木を見上げながら、はるか昔に通った、楠のあるもう一つの学校を思い出していた。

はばたき

 床屋さんで髪を切ってもらった。ちょきん、ちょきんと切ってもらっているうちに居眠りをしてしまった。さぞ、やりにくかったことだろう。

 店を出てから、隣りのパン屋さんの軒下に、つばめの巣があるのを見つけた。ちょうど、親ツバメが子ツバメに餌を与えているところだった。
親ツバメはたちまち次の餌を求めて飛びさった。

 巣の中では子ツバメが1羽、羽をはばたかせていた。
初飛行の日は近そうだ。

日没早まる

夏至が過ぎて、日没が少しだけ早くなった。その代わり、気温が高くなった。もう夏本番である。2週間ぶりに手術の手伝いをすることになった。手術室へ向かう前に、空の写真をとった。三日月よりは大きな月が南東の空に浮かんでいた。

 2800グラムの男の子が生まれた。

金沢往復 その二

昨夜、知人宅に泊めてもらった。朝、6時に起床した。もう外はすっかり昼間のようだ。兼六園とお城へ、知人と二人で向かった。杉苔、梅、松に目を奪われる。赤松は見たことがないほどの大木が多く、根本は苔でしっかりとおおわれている。梅は比較的若い木が多く、まだ小ぶりだ。実をつけるのはこれからだという。
 
 同じように早朝散歩に来ている人は多く、「おはようございます」とお互いにあいさつを交わすのが珍しかった。京都では竜安寺が早朝開放をしている。同じように、互いに挨拶を交わすのだろうか?
 
 午後には、県立中央病院の講堂で百名を超える参加者の前で、「あかちゃん こどもの死を考えるセミナー」が開催された。60分の持ち時間をもらって、スライドを使うことなく、話し終えた。だいじな、だいじなことを話しているつもりだけれども、伝わったのだろうか?

 夕方の特急列車の座席に揺られて、帰り道についた。外は暗くて、田んぼも鳥も湖も見えなかった。琵琶湖の東岸に点々とともる灯りが左側の車窓にずっと見えていた。

金沢往復

土曜日の午後、京都駅から特急列車に乗って、金沢に行った。京都から金沢への旅は初めてで、どの線路を走るのか、興味を感じていた。
京都駅を出ると、東海道線を東へ進み、大津の手前で、湖西線に乗り入れる。敦賀(つるが)まで、停車することなく、100キロメートル以上の速度で走る。通り過ぎる駅の名前が読めない。

 敦賀で停車のあとは、福井、金沢と、北陸三県の県都を次々と越えていく。終点は富山である。

  前々から不思議に思っていたなぞが解けて、すっかりうれしくなった。

 所要時間はわずか2時間10分しかかからない。おそらく高速道路と対抗するためなのだろうと思うけれども、家の中で、やれ探し物はどこだ、やれ暑いから麦茶を飲もうだとか、まごまごしているうちに2時間くらいはすぐに消化してしまう。

 琵琶湖の西側には田んぼが広がり、稲の背丈がだいぶ伸びていた。町中では見ることのないかなり大きな鳥の白い姿が、緑一色の稲の中に浮かび上がっていた。